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「勝ったら暴動が起きる」韓国の英雄とアウェイで対戦…大橋秀行が拳を磨いた“世界挑戦21連続失敗”の時代「テレビ局が負ける前提で番組を…」
text by
森合正範Masanori Moriai
photograph byKoji Asakura
posted2023/10/09 18:06
日本ボクシング界の「冬の時代」に現役時代を過ごした大橋秀行。韓国の名王者・張正九と2度にわたる激闘を繰り広げた
血まみれになっても狙い続けたカウンター
再起から3連勝で日本王座に就き、再戦へとたどり着いた。1988年6月27日、王者・張正九を後楽園ホールに招いた。
この試合に向け、大橋は絶えず練習をして、狙い続けていたパンチがあった。張の素早いワンツーの右に対し、右のカウンターを合わせる――第3ラウンド。倒されて、倒されて、また倒されて。3度ダウンを喫し、血まみれになった後、ついにその瞬間が訪れた。2分40秒過ぎ、右のカウンターが王者のアゴにヒット。張がぐらついた。大橋は王者が白目になっているのがわかった。残り十数秒。張の足がおぼつかない。だが、白目の王者はそれでも下がらず、前に出てきた。大橋が追撃の連打を放ったところで3回終了のゴングが鳴った。
「タイミングはばっちり。もう少し下だったら、テンカウントでしたね。あそこで張正九が下がったら俺が倒していたと思う。でも白目で前に出てきた。あの気迫は凄かったなあ……」
フリーノックダウンの時代。大橋はこの後、7回に2度倒され、8回にこの試合6度目のダウンを喫し、再開後アッパーを食らったところで試合を止められた。両者傷だらけの激闘だった。
張正九に2連敗。だが、その後のボクシング人生のなかで、この敗北が大きな財産になっていく。
しばらくすると、米倉会長から告げられた。
「世界王者になるのが第一だから、階級を落とせ。確実にベルトをとろう」
ライトフライ級の48.97キロからミニマム級の47.62キロへ。中学1年から1日1食を貫いているとはいえ、ライトフライ級でも減量は限界に近かった。
「ミニマム級はちょっと厳しかった。(減量前の)体重があるときのスパーリングは凄くいいんだけど、50キロを切ったら、体に力が入らなくてダメでしたね」