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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
原辰徳の成績に「巨人軍スターの宿命」がにじむ…長嶋茂雄と比べられた現役生活、監督1年目44歳で日本一翌年にナベツネの「読売G人事異動」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byHideki Sugiyama
posted2023/10/05 20:00
2002年、巨人日本一達成時の原辰徳監督。当時44歳で現役時代の若々しさをそのまま持続した表情だ
8月13日にはマジックが点灯、9月24日に2年ぶり30度目のリーグ優勝を飾る。日本シリーズも4-1、9-4、10-2、6-2で西武を4タテするほどの強さを見せた。
11月4日には大手町、銀座間で優勝パレードが行われた。
端的に言って「長嶋監督時代の遺産」がまだ十分に残っていて、44歳の原辰徳新監督は「馬なり」で手綱を捌き優勝した印象があった。しかしそれでもこの大戦力をまとめ上げた手腕は高く評価される。
松井がヤンキース移籍の03年3位から突然の“退任”
【2003年 71勝66敗3分 勝率.518(3位)】
首位阪神とは15.5差、中日にも抜かれて3位になった。
何と言っても絶対的な主軸だった松井秀喜がヤンキースに移籍したのが大きかっただろう。
松井秀喜は、長嶋茂雄、王貞治、原辰徳と続く「巨人の正系」であり、高卒左打者として王貞治の衣鉢を継ぐ打者と見られていた。だが球団の引き留めを振り切ってMLBに移籍。2001年にMLBに移籍したイチローの空前の大活躍が影響していると推察されるが、「巨人のユニフォームを着るのが野球少年の夢」と言われた時代の終焉を強く感じさせた。
打では高橋由伸が.323で4位、二岡も3割、ヤクルトから移籍したペタジーニが34本塁打81打点、清原和博も26本塁打と復活したが、松井秀喜の穴を埋めるべくもなかった。
投では上原が16勝を挙げたものの、2けた勝利は木佐貫と2人だけ。救援でも河原純一の7セーブが最多。投打ともに成績を大きく落とした。
球団フロントとの確執が噂されて「人事異動」に
それでも原辰徳の3年目の監督続投は既定路線とみられていた。しかし9月9日、読売新聞の三山秀昭経理局長が巨人代表に就任。当時の渡邉恒雄オーナーは「(同じ新聞社が経営する)中日に抜かれたこと」を問題視していると言われ、その意向を受けた三山代表と原監督との確執が報じられるようになる。
そして9月26日、突如退任が発表される。記者会見の席上、渡邉恒雄オーナーは「これは読売グループ内の人事異動なんだ」と言い切った。この言葉は一般のファンからは違和感をもって受け止められた。