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原辰徳の成績に「巨人軍スターの宿命」がにじむ…長嶋茂雄と比べられた現役生活、監督1年目44歳で日本一翌年にナベツネの「読売G人事異動」 

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広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

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photograph byHideki Sugiyama

posted2023/10/05 20:00

原辰徳の成績に「巨人軍スターの宿命」がにじむ…長嶋茂雄と比べられた現役生活、監督1年目44歳で日本一翌年にナベツネの「読売G人事異動」<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2002年、巨人日本一達成時の原辰徳監督。当時44歳で現役時代の若々しさをそのまま持続した表情だ

 筆者は30代になった原辰徳が、岡崎郁に三塁のポジションを譲り、外野を守っていたのを思い出す。忸怩たる思いがあっただろうが、それでも溌溂としたプレーを見せていた。

 引退後は1996年からNHKの解説者を務めた後に、1998年巨人のコーチに就任。監督は長嶋茂雄、指導者としても“長嶋茂雄の後継者”含みでのコーチ就任だった。

 長嶋の場合、引退翌年に監督に就任。巨人はいきなり最下位に転落したが、原にはその轍を踏ませることなく一軍野手総合コーチ、ヘッドコーチとステップを踏んでいた。2001年、巨人が2位に終わると、65歳の長嶋監督は原辰徳ヘッドコーチに監督の座を禅譲して退任した。

 そして翌年から原辰徳の「第一次監督時代」が始まる。

松井、由伸、上原、阿部らが躍動した02年独走V→日本一

【2002年 86勝52敗2分 勝率.623(1位)】

 2位ヤクルトに11差をつける大勝だった。

 打では、長嶋監督時代にFA移籍した清原和博は衰えたが、松井秀喜が日本人打者としては1986年のロッテ落合博満以来の50本塁打を記録、打点王も獲得。惜しくも打率は中日の福留孝介に抜かれて2位に終わったがキャリアハイの成績でMVPに輝く。

 さらに清水隆行、高橋由伸が3割に到達し、2年目の阿部慎之助は当時の巨人軍捕手最高打率の.298をマーク。二岡智弘もレギュラーで24本塁打を放ち、FA移籍組の江藤智も規定打席に到達した。

 投では4年目の上原浩治が最多勝、沢村賞受賞。34歳の桑田真澄は防御率1位、FA移籍組の39歳工藤公康が9勝ながらローテを維持し、高橋尚成も規定投球回数に達して充実した先発陣に。抑えでは河原純一が28セーブを挙げた。岡島秀樹、前田幸長も救援で活躍。得点、チーム打率、防御率でリーグ1位。まさに圧勝だった。日本シリーズでも西武を4勝0敗で下して優勝した。

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