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故郷の益田競馬場は休止、落馬事故で生死の境をさまよい「目が覚めたら病院でした」…不屈の名手・御神本訓史42歳が歩む波瀾万丈の騎手人生
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph byNumber Web
posted2023/09/17 17:02
2023年、ミックファイアとともに南関東三冠を制した御神本訓史。“天才”とも称される42歳に、波瀾万丈の騎手人生を振り返ってもらった
結局、大井・三坂盛雄厩舎へ移籍することになり、10月14日に騎乗を再開する。
「大井では招待レースで2回ほど乗ったことがあり、ここで乗りたいと感じていたので、嬉しかったです。これもひとつのチャンスなのだから頑張ろう、と切り替えました。『自分は通用するのかな、どのくらいやれるのかな……』と不安もありましたが、広さにも、多頭数の競馬にも、意外に早く馴染むことができたと思います」
「目が覚めたら病院でした」落馬事故で意識不明に
しかし移籍翌年の2003年5月、落馬で外傷性クモ膜下出血および脳挫傷で一時意識不明となる。1年ほどのリハビリを経て復帰するも、また休んでは復帰ということを繰り返し、本格的に復帰するのは2005年になった。
「落馬して、目が覚めたら病院でした。前後のことは覚えてないですね。手術などはしなかったのですが、しばらく車いすで、2カ月ぐらい入院しました。回復は早かったので『もう乗れないんじゃないか』とは考えなかったですけど、復帰しても、視界がぼやける感じがあったりして、完全に復帰するまで時間がかかってしまいました。周りに支えてくれる人がたくさんいて、その人たちの熱意が大きかったですね」
完全復帰後の2006年3月、東京シティ盃で南関東重賞初制覇。5月にJRA初騎乗、11月に重賞初騎乗、12月に平場初勝利と、活躍の場をひろげていく。
しかし2007年、調整ルーム不着のため、騎乗停止と謹慎処分を受ける。9月に騎乗を再開し、10月、フジノウェーブでJBCスプリントを勝ち、JpnⅠ初勝利。JBC史上初の地方馬による勝利で、御神本は26歳だった。
「競馬が上手で、乗りやすい馬でした。フェブラリーステークスでJRA・GⅠ初騎乗(2008年、12着)ができたりと、いろいろなところに連れて行ってくれました。管理調教師の高橋三郎さんは、ぼくが大井に移った当初からすごく熱心に指導してくれたんです。面倒見のいい方で、ずっと気にかけてくれました」
2009年9月、地方競馬通算1000勝を達成。2013年、253勝を挙げ、初の南関東リーディングを獲得。32歳だった。