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故郷の益田競馬場は休止、落馬事故で生死の境をさまよい「目が覚めたら病院でした」…不屈の名手・御神本訓史42歳が歩む波瀾万丈の騎手人生

posted2023/09/17 17:02

 
故郷の益田競馬場は休止、落馬事故で生死の境をさまよい「目が覚めたら病院でした」…不屈の名手・御神本訓史42歳が歩む波瀾万丈の騎手人生<Number Web> photograph by Number Web

2023年、ミックファイアとともに南関東三冠を制した御神本訓史。“天才”とも称される42歳に、波瀾万丈の騎手人生を振り返ってもらった

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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2023年7月12日、大井競馬場。ジャパンダートダービーでJRAの並みいる強豪を撃破し、ミックファイアを無敗の南関東三冠馬に導いた御神本訓史を、観衆は盛大な「ミカモトコール」で迎えた。益田競馬場の休止、生死の境をさまよった落馬事故、騎手免許の失効……。波瀾万丈のジョッキー人生を歩む42歳の実像に迫った。(全2回の2回目/前編へ)

若き日に味わった「言葉にできない悲しみ」

 ミックファイアで無敗の南関東三冠制覇を遂げた御神本訓史は、今年、騎手デビュー25年目を迎えた。脂の乗った42歳。今年は8月を終えた時点で100勝を超える勝ち鞍を挙げており、まさにキャリアの充実期にある。

「確かに、20代の自分だったら、三冠でこの結果を出せなかったかもしれません。JDDでは我慢し切れず、2番手くらいから早めにミトノオーをつかまえに行って差されるパターンになった可能性もある。本当にフラットな状態で臨み、平常心で乗ることができました。三冠に向けて、自分のなかでいろいろ噛み砕いて準備を進めるにあたって、『負けても仕方がない』と、いい意味で割り切れる部分もありました。勝って当たり前でもなかった。運が大きかったので」

 そう話す御神本は、まさに波瀾万丈の騎手人生を歩んできた。

「いろいろ遠回りしたり、つまずいたりしたこともたくさんあったけど……。競馬に対して、馬に対して、レースに向けてやってきたことは、そんなに間違った進め方をしてこなかったのかな、とは思います」

 御神本は1981年8月25日、島根県益田市で生まれた。父・修さんは元益田競馬場の騎手で、御神本が生まれたときは調教師だった。

「家は厩舎の外にありました。競馬場まで車で10分くらいのところです。小さいころからよくレースを見に行きました。周りに騎手がたくさんいて、みんなカッコよく見えて、憧れましたね」

 1999年4月10日、益田競馬場の父の厩舎に所属してデビューする。同日初勝利を挙げ、7月には益田のダービーに相当する日本海特別を勝つ。2年目に益田のリーディングジョッキーとなって注目されるも、4年目の2002年8月、益田競馬場が休止となり、騎乗の場を失う。

「言葉に表せないくらいの悲しみと、衝撃がありました。行き先について、僕自身はあまり関与していなくて、主催者同士で受け入れ先を決めてくれたんだと思います。ジョッキーをつづけたかったので、どこかで乗れたらいいなと思っていました」

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