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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「元巨人ドラ4捕手」は今、東北高監督に…佐藤洋61歳が落合博満に学んだ打撃論、コーチの指導で「マネしたくない」と思ったこと
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byJIJI PRESS
posted2023/10/18 11:02
巨人時代の佐藤洋氏
〈オフシーズンに引退選手を送る野球の試合があって、遊びで自分の本来のポジション以外のところを守ることになった。それでキャッチャーをやったんですが、それを投手出身の監督が見ていて“転向しないか”となったんです。
最初のうちは、カーブのサインを出したら真っすぐが来るなど、戸惑いの連続でした。キャッチャーの魅力に取りつかれたわけでもないし、チーム事情でやった感じでした〉
しかし佐藤氏は強打、強肩の捕手として頭角を現し、1983年の都市対抗に出場。社会人の有力選手として注目される存在になった。
〈社会人になってから体重が10kgくらい増えたんですね。高校時代は過酷な練習をしていたから太る暇がなかったんですが、社会人でちょっと練習量が落ちて太った。それまで、自分は太らない、身体が大きくならない体質だと思っていた。これは明らかに高校で練習をやりすぎじゃないのかと疑問がわいたんですね。
打順もそうです。高校時代は2番、6番でバントとかエンドランばかりだったのに、社会人になってすぐに4番を打って、ホームランも打つようになった。よく「社会人になって変わった」と言われましたが社会人になっていろんな鍵が外れたんです。
高校野球は昔から型に嵌めると言います。要するに「お前はこれをやれ」と言われてやっていたから、自分のキャパシティいっぱいに野球をしていなかったんです。当時はそういう時代でしたね〉
巨人からだけは「捕手で獲る」と言われた
社会人野球には4年在籍した。その中で佐藤氏は、社会人になって初めて「プロ野球」という存在を意識したのだという。
〈プロに行きたくて、練習も相当しました。契約金でボンッて払うイメージがあったので、車を買うなど400万円ぐらい借金しました。プロに行く前提でそういうことをしちゃったので、プロに行けなかったら困る。親父には「メチャクチャだ!」と怒られましたが、それくらい自分を追い込んだんですね〉
そして1984年ドラフト会議で、巨人から4位で指名された。
〈他の球団のスカウトからは「野手で獲る」と言われましたが、ジャイアンツからだけは「捕手で」と言われた。社会人から行くわけですから、自分がどうやったら試合に出場できるかを分析しました。当時の巨人には山倉和博さんというスター捕手がおられたから、巨人はないなと思って一度はお断りしたんです。でも、結局、指名されていくことにしました。ちなみに巨人のドラフト1位は慶応義塾大の上田和明さんでした〉
ああ、大人の世界って嫌だなあ
佐藤氏は巨人に入団してから2年間、捕手としてプレーしたが、一軍には昇格できなかった。