- #1
- #2
酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「“坊主頭でなくて良いよ”って」元巨人→野球塾から東北高を率いる異色指導者・佐藤洋が目指すもの「1日1日を嘘つかないで…」
posted2023/10/18 11:03
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
Kou Hiroo
東北高校監督の佐藤洋氏は、東北高校時代に甲子園に4回出場、電電東北では強打の捕手として注目され、1984年ドラフト4位で巨人に捕手として入団。内野手として10年プレーするものの、レギュラーの座をつかむことなく1993年に退団し、33歳から再スタートすることになった。
〈引退して初めて社会人に教えたのは、リクルート硬式野球部でした。のちにローソン硬式野球部になりますが、このチームで指導しました。その時は痛めたアキレス腱も随分回復してきたので、選手と一緒に体を動かしていました。33歳頃から37歳までやっていましたが、このまま社会人野球の指導者になるという気持ちもあまりなかったですね。
その後、ある企業からお誘いを受けた。僕は企業で働いた経験がないので、企業はどんな風になっているのかという興味もあって入ったんです。
その企業では「野球塾をやったらどうだ」と言われました。当時は、まだプロ野球選手のOBで野球塾なんてやっている人はいなかった。多分僕が最初だと思うけど、やらせてくださいと始めたんですね〉
野球塾を始めて分かった「元巨人」の大きさ
「野球塾」とは、リトルシニア、ボーイズなど主として硬式野球をする選手が、個人的に能力を強化して、レギュラーのポジションを獲得するなどの目的で通う塾のことだ。近年、元プロ野球選手などで「野球塾」をする人が増えてきたが、20年前にはほとんどいなかった。佐藤氏はそんな「野球塾」を埼玉県で始めた。
〈会社が生徒を集めてくれるわけではないので、自分で広告を打って、体験会を開催したりしたところ、いきなり50人集まっちゃったんですね。やっぱり元ジャイアンツの名前は大きいなと思いました。
各チームに所属している子供が来るんですが、最初は「何でこんなこともできないのかな」ということの連続でした。ただ「何でだろう」という観点でいろいろ突き詰めていくと、出来ないには“出来ない理由”があるんですね。その理由を探すのは面白かったんですよ。