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「元巨人ドラ4捕手」は今、東北高監督に…佐藤洋61歳が落合博満に学んだ打撃論、コーチの指導で「マネしたくない」と思ったこと

posted2023/10/18 11:02

 
「元巨人ドラ4捕手」は今、東北高監督に…佐藤洋61歳が落合博満に学んだ打撃論、コーチの指導で「マネしたくない」と思ったこと<Number Web> photograph by JIJI PRESS

巨人時代の佐藤洋氏

text by

広尾晃

広尾晃Kou Hiroo

PROFILE

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JIJI PRESS

 プロとアマの垣根が低くなって、近年は「元プロ野球選手」が「アマチュア野球の指導者」になるケースが増えている。日本のトップリーグを経験した野球人がアマチュア野球の指導をすることの影響力は非常に大きい。こうした「元プロ」の野球人が日本野球を大きく変えていく可能性もあるだろう。「プロからアマへ 可能性の追求」と題してプロ野球出身のアマチュア野球指導者に話を聞いていく。今回は昨年、東北屈指の強豪校、東北高校の監督に就任した佐藤洋氏(61)に聞いた。(全2回の第1回/第2回へ)

 佐藤氏は元読売ジャイアンツの内野手であり、宮城県石巻市の出身だ。

〈野球を始めたのはいつから、と言われるとよくわからないのですが、小学1年頃から、兄が野球で遊んでいたのに入れてもらって、4年生くらいから友達同士で野球遊びをするようになった。中学校で初めて部活動で軟式野球チームに入りました。

 だけど試合に出るのは3年生が中心で、1年、2年の時はあまり試合に出ていなかった。

 3年生になって「本気でやろうぜ」という空気になって、県大会で準優勝して、東北高校に進むことになったんです〉

東北高時代、プロに行きたいという考えはなかった

 東北高校は1922年から選手権大会に参加している古豪である。佐藤氏の在籍中には、東北高は79年春、夏、80年春、夏と4回甲子園に出場した。チームには左腕エースで巨人、南海で投げた中条善伸、西武、近鉄で活躍した左打者・安部理がいた。

〈僕は三塁手で、2番や6番を打つことが多くて、どちらかと言うと細かい野球をすることが多かった。でも身長は170cm台後半ほどあったと思います。スカウトからも声がかかったと聞きましたが、プロに行きたいといった考えは全くなかったですね〉

 佐藤氏は、一度は大学進学を考えたが、自身の性格を鑑みて進学をあきらめたと言う。

〈僕は高校時代から理不尽なことを言われたら、たとえ目上であってもはっきり言い返すような人間だったんです。当時の大学野球部は結構なスパルタで、上下関係が厳しかった。もし先輩から理不尽なことを言われて殴られたりしたら、殴り返していたと思う。そうなると後輩たちに迷惑がかかるな、性格的に大学は行かない方がいいな、と思ったんです〉

 今に至る「異色の指導者・佐藤洋」の原型は、すでにこの時代にできていた。

自分のキャパシティいっぱいに野球をしていなかった

 佐藤氏は、社会人野球の電電東北に入社する。この時点では内野手だったが、捕手に転向する。

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佐藤洋
読売ジャイアンツ
東北高校

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