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サイドバック王国の系譜を継ぐバングーナガンデ佳史扶21歳が思い描く未来像「リース・ジェームズのような怪物になりたい」〈パリ世代インタビュー〉
posted2023/08/25 11:04
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Atsushi Iio
長友佑都、徳元悠平とのポジション争いを制し、左サイドバックとして今年2月に開幕スタメンの座を射止めると、翌月には21歳にして日本代表に初招集されたばかりか、3月28日のコロンビア戦で先発起用され、代表デビューまで果たした。
「FC東京にはトップクラスのサイドバックが集まっています。ここでスタメンを勝ち取れれば日本代表にもなれると思うので、どんどんチャレンジして、チームの絶対的な存在になりたいです」
沖縄キャンプでそう宣言したように、バングーナガンデ佳史扶はプロ4年目となる今シーズン、思い描いたとおりのスタートを切った……はずだった。
勝負のシーズンの大ケガにもネガティブにならなかった
不運の始まりは、目標にしていた舞台でのアクシデントだった。
コロンビア戦の後半に相手選手との接触によって右膝膝蓋骨を傷め、約2カ月間戦列から離れると、復帰直後の5月24日のセレッソ大阪戦で右脛腓靭帯を損傷し、再び長期離脱を余儀なくされる。
勝負のシーズンに立て続けに負った2度の大ケガ――。
さぞ打ちのめされているかと思いきや、8月半ばに小平のクラブハウスで会った佳史扶はケロッとしていた。復帰間近だったからではない。再受傷した直後から落ち着いていたという。
「周りの人たちからもすごく心配されたんですけど、僕が意外と落ち込んでいないので、『大丈夫そうだな』って(笑)。1回目のケガのあと、復帰を急いでしまったので、2回目は起こるべくして起きたケガでした。起きてしまったことはもう仕方がないので、ここで1回リセットして体を鍛え直そうと。だから、すっきりした気持ちでリハビリできました。そこでネガティブにならなかったのは、やっぱり21年の経験があったので……」
プロ2年目の21年6月、憧れの存在だった日本代表の小川諒也を右サイドバックに追いやり、左サイドバックのポジションを掴んだ。
「諒也くんは器用だから右もできますけど、僕は左しかできないので(苦笑)」
本人はそう謙遜するが、長谷川健太監督(当時)が若きレフティの才能に賭けていたのも確かだろう。
半年間もサッカーが…鬱っぽくなってしまったんです
ところが、試合出場を重ねて自信が膨らみつつあった頃、9月1日の北海道コンサドーレ札幌戦で右膝外側半月板を損傷し、全治6カ月と診断されてしまう。
その瞬間、輝かしい未来に向かって伸びる階段が、ガラガラと音を立てて崩れていくような感覚に陥った。