Jをめぐる冒険BACK NUMBER
サイドバック王国の系譜を継ぐバングーナガンデ佳史扶21歳が思い描く未来像「リース・ジェームズのような怪物になりたい」〈パリ世代インタビュー〉
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2023/08/25 11:04
インタビューに応じてくれたバングーナガンデ佳史扶
「ようやく試合に出られるようになったのに、半年間もサッカーができなくなることが受け入れられなくて、鬱っぽくなってしまったんです。手術翌日、FC東京の試合があったので病室で見ていたら、震えが止まらなくなって。慌てて先生が来て、落ち着くように注射を打ってくれたんですけど、受け答えもできなくて……。自分でも気づかないうちにメンタルをやられていたんだと思います。あれは自分のサッカー人生でもどん底でした。ようやく気持ちを立て直せたのは、退院してからでしたね」
目の前が真っ暗になる辛い経験だったのは間違いない。だが、そのおかげで佳史扶は「この先どんなことが起きても屁でもない」と思えるメンタルを手に入れられたのである。
実は“生粋のサイドバック”ではなかった
ここまでに長友や小川の名前が出てきたように、FC東京には数多くの日本代表サイドバックを輩出してきた歴史がある。彼らのほかにも、左サイドバックでは太田宏介、右サイドバックでは加地亮、徳永悠平、室屋成といった具合だ。
Jリーグ屈指のサイドバック王国――その系譜を継ぐのが、アカデミー出身の佳史扶だ。
もっとも、生粋のサイドバックというわけではない。
「1年を通してサイドバックとしてプレーしたのは、プロ1年目(20年シーズン)が初めてでした。それまでは、自分の代ではボランチやサイドハーフ、FWをやったりしていたんですけど、ひとつ上のカテゴリーや代表に呼ばれるとサイドバックをやらされて。だから、上のレベルでは攻撃的なポジションでは通用しないと思われているのかな、っていう悔しさもありました」
父から紹介された超攻撃的SBガレス・ベイル
もともと守備をすること自体が好きではなく、サイドバックでの起用を受け入れられなかった少年に、このポジションへの興味を持たせてくれたのは、「すごく信頼していて、なんでも話します」という父親だった。
ガーナ出身で元プロボクサーの父は、鹿島アントラーズのファンであり、プレミアリーグが大好きだった。そんな父からある日、プレミアリーグの魅力的な選手を紹介された。
超攻撃的サイドバックとして鳴らしていたトッテナム時代のガレス・ベイルである。