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初代表で「体に触ることすら…」バングーナガンデ佳史扶がコロンビア以上に衝撃だった瞬間は?「僕は奪いに行く側」パリ五輪代表への野心
posted2023/08/25 11:05
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph by
Kiichi Matsumoto/JMPA
今年中の日本代表デビューを思い描いていたバングーナガンデ佳史扶にとって、早くも目標を叶えた3月28日のコロンビア戦が記念すべき一戦だったのは間違いない。
だが、プロキャリアにおいてそれ以上に重要な意味を持つゲームがある。
2022年10月1日、敵地での鹿島アントラーズ戦――。
実は佳史扶が小学生の頃に初めて観たJリーグの試合は、カシマスタジアムでの鹿島×FC東京戦だった。
「お父さんが鹿島ファンだったんですけど、家ではプレミアリーグばっかり観ていたから、僕自身はJリーグのことをあまりよく知らなかったんです。そうしたら、小学3年生ぐらいのときに、お父さんがカシマスタジアムに連れて行ってくれて。相手が(その後スクールに通うことになる)FC東京だったのは、たまたまなんですけど(笑)」
お父さんも勝負の世界で生きてきた人なので
ガーナ出身で元プロボクサーである父は、佳史扶にとって最高の理解者である。
学生時代、サイドバックへのコンバートに悩む佳史扶にガレス・ベイルの存在を教え、このポジションへの興味を持たせてくれただけでなく、元アスリートだけに今でも的確なアドバイスを送り、サポートしてくれるという。
「一番多いのはメンタル面の相談ですね。僕はちょっと気持ちが弱いところがあるし、不安やストレスを抱えたりすることがあるので、『どうしたらいいかな?』って。メンタルの持ちようとか、物事の捉え方とかを伝えてくれます。お父さんも勝負の世界で生きてきた人なので、今もすごく信頼していて、なんでも話します」
22年のその試合は、佳史扶がプロ3年目にして初めてピッチで迎える鹿島戦だった。
さらにもうひとつ、気持ちを奮い立たせる要素があった。
FC東京U-15深川時代から一緒にボールを蹴ってきた親友の木村誠二が、センターバックで先発起用されていたのだ。
佳史扶とは対照的に、出番に恵まれなかった木村は京都サンガF.C.、SC相模原、モンテディオ山形と期限付き移籍を重ね、その夏に復帰すると、鹿島戦のスタメンに抜擢されたのだった。
「お父さんに『あのピッチに立つよ』って報告をしたら、すごく喜んでくれましたね。誠二ともトップチームで一緒に出るのは初めてだったので、『これ、勝ったら俺たちのおかげだし、負けたら俺たちのせいだよ。それくらいの気持ちで戦おう』って試合前に話していたんです」
ゲームは0-0で迎えた84分、安部柊斗が決勝ゴールを叩き込み、FC東京が敵地で勝利を飾った。木村とともに鹿島の攻撃を封じ込めただけでなく、安部のゴールをアシストしたのも、佳史扶だった。