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「フリーターでした。夜な夜な友達と…」青学大も野球部も辞め、WBC侍ジャパンのコーチが“野球を諦めた日”…人生を変えた「栗山英樹の本」 

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城石憲之

城石憲之Shiroishi Noriyuki

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/08/24 11:02

「フリーターでした。夜な夜な友達と…」青学大も野球部も辞め、WBC侍ジャパンのコーチが“野球を諦めた日”…人生を変えた「栗山英樹の本」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2018年、日本ハム時代の栗山英樹監督と城石憲之コーチ

夜な夜な友達と遊んだ「フリーター時代」

 それまで僕は父親に手をあげられたことはありませんでした。でもこのときは、こっぴどく怒られました。自分だけのことではなく、大学にも、推薦してくれた高校にも迷惑をかけたのだ──言葉としては聞こえていましたが、心に響くものではありませんでした。

 その後しばらく、僕はフリーターでした。実家にいて、あれこれアルバイトをしながら、何をするでもなく夜な夜な友だちと遊ぶ。

 そんな暮らしを1年以上も続けていました。将来どうしようというビジョンもなく、楽しい毎日だと思いながらも、こんなことをずっと続けていられるわけがないとわかってもいました。

 フラフラとした生活を続けてから、一度目の正月を迎えました。成人式にも出ませんでした。

 野球から逃げてしまった自分を恥ずかしく思っていた部分があったのかもしれません。もう高いレベルで野球ができないという事実。それは自分が選んだことだという事実。そうした事実に真剣に向き合うことができませんでした。

“栗山選手”の本で「もう一度野球をやりたい」

 そんなときに、先にも触れた栗山監督が書かれた『栗山英樹29歳─夢を追いかけて』という本に出会いました。

 現役晩年を迎えていた栗山選手の本。どうしてその本に巡り合ったのかは覚えていません。

 その本には、テストを受けてプロに入った話とか、プロ入り後の苦労話とか、メニエール病という病気と闘いながら現役を続ける若き栗山選手の話とかが綴られていました。

 病気のせいで自分が思い描くプレーができないもどかしさに悩む栗山選手の言葉に触れました。

 元気を持て余しながら野球から逃げている自分はなんなんだろう。この本のおかげで、嫌でも自分に向き合いました。

 そして、おぼろげながら「もう一度野球をやりたい」という気持ちが芽生えてくるのを感じていました。

【次ページ】 「手伝ってやろうか」父の言葉

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