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「フリーターでした。夜な夜な友達と…」青学大も野球部も辞め、WBC侍ジャパンのコーチが“野球を諦めた日”…人生を変えた「栗山英樹の本」

posted2023/08/24 11:02

 
「フリーターでした。夜な夜な友達と…」青学大も野球部も辞め、WBC侍ジャパンのコーチが“野球を諦めた日”…人生を変えた「栗山英樹の本」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

2018年、日本ハム時代の栗山英樹監督と城石憲之コーチ

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城石憲之

城石憲之Shiroishi Noriyuki

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JIJI PRESS

日本中が歓喜に沸いたWBC優勝から約5カ月。大会では栗山英樹監督と大谷翔平をはじめとする選手の信頼関係も話題を集めたが、その陰で大きな貢献をしたのが城石憲之コーチだ。春日部共栄から青山学院大に進んだ“野球エリート”は、なぜ一度「野球をやめた」のか? ワニブックス刊『世界一のベンチで起きたこと - 2023WBCで奔走したコーチの話 -』より“プロ入り前夜”のエピソードを抜粋して紹介します。(全2回の1回目/「大谷翔平の衝撃」編に続く)

青山学院大学を中退…野球をやめた日

 中学校の軟式野球部で活躍し、埼玉県の強豪、春日部共栄に進み、1年生でショートのレギュラーとなりました。主将を務め、甲子園に2度出場し、卒業後は青山学院大学への推薦も決まりました。

 そこでさらに高いレベルで野球を続けていく中でやがて将来が決まっていくのだろう、それがプロ野球選手だったら最高だなあ──そんなぼんやりとした青写真を描いていました。

 そんな「エリートコース」を、僕は自分から降りてしまいました。野球部と大学をすぐに辞めてしまったのです。

 高校ではとにかく野球中心の毎日。仲間たちとともにストイックに取り組みました。その結果として、甲子園出場という目標を達成しました。やり遂げたという充実感がありました。

 その先に何があるのかは、よくわかっていませんでしたが、それまでよりステップアップした別の充実感があるのだろうと、おぼろげに想像していました。

 大学が始まるまでの間、友だちと遊んだりするのが楽しくて楽しくてしかたがない自分がいました。周りの友だちは、自由気ままに18歳の青春を楽しんでいることを知りました。

 春になって新生活が始まると、僕はエアポケットに陥ってしまいました。僕の帰るべき場所は、がんじがらめのタテ社会で、僕はその「居場所」が嫌になってしまいました。

 それくらいのこと、我慢できたのではないか──後に、そう問い直すこともありましたが、そのときの僕には他に選択肢はなかったのです。

 僕は野球部と大学を辞めました。

【次ページ】 夜な夜な友達と遊んだ「フリーター時代」

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