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セリエA ダイレクト・レポートBACK NUMBER
お盛ん男女関係、やらかし伝説の一方で…24歳での「うつ病」から名GKブッフォンが抜け出すまで「若いうちは誰でも失敗するもんだ」
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byAlessandro Sabattini/Getty Images
posted2023/08/23 11:01
97-98シーズンのブッフォン(当時パルマ)
96年、勇んでパルマ大学法学部に入学手続きをしたところ、偽の高卒証書を提出したことが発覚。本当は会計士高等専門学校の3年次に落第し、別の私立校へ転校時に4年次へねじ込んでもらったがそこで一度も試験を受けていなかったこともバレて、結局600万リラ(約3000ユーロ)の罰金を払う羽目になった。会見では「若気の至りというじゃないですか。僕の場合もそうでしょう?」と開き直り、面の皮の厚さを世間に知らしめた。
12年に自身も事情聴取を受けた国際賭博疑惑では「1人死ぬより2人ケガする方がマシ」という発言で物議を醸した。試合の当事者双方にとって明らかに引き分けが得になるならわざわざ敗者を作る必要はない、という考えから発したものだが、酒の席ならともかくEURO2012を直前に控えたアッズーリの主将が公式会見で口にするべき言葉ではなかった。
ブッフォンは28年に及ぶ長いプロキャリアを通して、率直に物申すことを怖れなかった。どんなチームであれ、主将を任命されるような者はなるだけ品行方正で仲間からの信頼篤く責任感も強いと相場が決まっている。言動を自重する。
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だが、ブッフォンは型破りのカピターノだった。
24~25歳の頃、ブッフォンは心を病んでいた
24歳から25歳にかけての時期、ブッフォンは鬱病を患ったことをいくつかの現地インタビューで語っている。
ユベントスに入団して2年目、ちょうど日韓W杯後の02-03シーズンを戦っていた頃のことだ。原因は「ユベントスでの巨大なプレッシャーに耐えきれなくなったから」としている。
イタリア人にとってユベントスの選手になるということは、単に名門クラブに入団する以上の意味がある。ユベントスの一員になるイコール国中を支配する大資産家アニェッリ家の庇護の下に入るのと同義の大出世だ。
勝てば自分だけでなく一族郎党がその恩恵に預かれる。だが、もしアニェッリ家の名に泥を塗ればどうなるか。地方クラブのパルマで天衣無縫に生きてきたブッフォンは、初めて味わう人生の重圧に押し潰された。
表向きはつねに自信満々を装い、何も知らないファンからは“スーパーマン”の異名を享受しながら、自分自身を弱い男だと断じた。
「自分にとって幸運だったのは、一番苦しかった時に自分の弱さを認めることを恥だと思わなかったことだ。内にこもらず、ユベントスのドクターや家族、恋人や友人たちと他愛無く話し続けたことが、何よりの治療薬になった」
“そのときどきに感じたままを口にしただけ”
心のトンネルから抜けられたのは、赤裸々であっても自らを素直にさらけ出す性分のおかげだった。