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「乱闘怖くなかった。張本勲さんがいたから」大物揃いのロッテ入団…伝説的キャッチャーが明かす“サイン全球無視される”事件「え…?なんで?」
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byJIJI PRESS
posted2023/08/04 11:03
元ロッテの伝説的キャッチャー・袴田英利が語るレジェンドたちの実像とは
43歳を迎える大ベテランにとって、大卒の黄金ルーキーは強力なライバルだった。春季キャンプで、袴田は根来広光バッテリーコーチと同部屋になった。現役時代、金田正一の球をノーサインで受けていた国鉄スワローズの名捕手から英才教育を受けるほど、期待を掛けられていた。野村が嫉妬しても不思議ではない。
「コーチと同じって、かなり珍しいですよね。根来さんは技術だけでなく、常にピッチャーの近くにいて話をよく聞きなさいとキャッチャーの心構えを説いてくれました」
初スタメンが“村田兆治とバッテリー”
開幕当初は野村がマスクを被ったが、5月になると榊親一や土肥健二がスタメンに抜擢されるようになる。金田と野村の確執も囁かれる中、6月6日にはルーキーの袴田が初めて先発出場した。ピッチャーはエースの村田兆治だった。
「村田さんはテンポの早いピッチャーなので、細かく計算するサインを好みませんでした。面倒くさがって、首振ったまま投球モーションに入るんですね。『あれ、何のサインに決まったのかな?』と思っていると、いきなりフォークが来た」
乱闘怖くない「張本勲さんがいましたからね」
1年目わずか9試合の出場に終わった袴田は2年目、開幕から4試合連続でスタメンに名を連ねる。試合を重ねると、プロの洗礼を受けた。そう、昭和のパ・リーグで横行していたビーンボールである。
「キャッチャーの選手が打席で狙われるんですよ。山田(久志)さんなど各球団のエース級にかなりやられましたね。来そうな時はわかります。一度、西武戦で東尾(修)さんが顔の付近に放ってきた。バットに当てようとしたら空振りして、頭の上を通り越していきました」
一触即発の事態になっても、相手チームはロッテにほぼ立ち向かわなかった。
「若手の頃は乱闘になっても怖くないと思ってました。張本(勲)さんがいましたからね。(審判への首投げで退場になった)白仁天さんも控えていたので、大丈夫だろうと」
のちのロッテの看板選手・愛甲猛は著書『球界の野良犬』(2009年8月発行)で、〈まさに乱闘が始まろうかというその瞬間、ベンチから張本さんが飛び出てきた。「おまえら! 全員野球できへん身体にさすぞ!」その一言で乱闘は回避された。〉と綴っている。誰もが、張本勲を恐れていた。