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「長嶋さん、見事な引き際です」長嶋茂雄監督、ラストゲーム当日…巨人軍定宿「ホテル竹園芦屋」従業員に明かした秘話「たみちゃん、これは美学なんだよ」
posted2025/08/01 11:07
巨人軍の定宿「ホテル竹園芦屋」に長嶋茂雄監督は“最後の試合”の帽子を残していった
text by

村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
Tadashi Hosoda
発売中のNumber1124号に掲載の〈[ラストゲームドキュメント]2001.10.1 甲子園が見つめた去り際の美学〉より内容を一部抜粋してお届けします。
長嶋茂雄監督、本当のラストゲーム
今一つの歴史が幕を閉じました。永遠に燦然と輝く背番号3・長嶋茂雄。ホーム最終戦ゲームセットです──。
6時間ぶち抜きの生中継を敢行した日本テレビの多昌博志アナが万感の思いを込めて試合終了を告げる。解説の堀内恒夫、江川卓、中畑清が声を詰まらせ、徳光和夫が泣きじゃくる。
スピーチの後には胴上げ。長嶋が笑顔でグラウンドを去っていく。さようならミスター。ありがとう背番号3よ、永遠に。
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だがしかし。この東京ドームでの試合は長嶋監督のラストゲームではなかった。
本当の最後は翌日2001年10月1日、甲子園での阪神―巨人戦。6月の試合が雨で流れ、振り替えとなった8月の試合も雨となり、この日に組み込まれた消化試合は、3日前の長嶋勇退の報で、急遽国民が注目する一戦にバケた。
幸運にもこの試合の中継権を持っていた関西テレビスポーツ局のプロデューサー西澤宏隆は、前日の日テレの中継を観ながら武者震いをしていた。長嶋監督のラストゲーム。しかも甲子園の巨人阪神、永遠のライバル野村克也監督との最後の対決でもある。西澤は転がり込んできた僥倖に感謝し、「とりあえず、ヘリ飛ばそうや」と、日本シリーズなど国民的お祭り行事の様式美ともいえる演出を指示。その一方で一抹の不安を覚えていた。
「試合が長びいたとしても、中継の延長ができなかったんです。10月は番組の改編期で、その日は『笑っていいとも! 秋の祭典・スペシャル』が組まれていました。もちろん中継延長を訴えて上層部と何度も掛け合いましたが、大量のタレントさんが生放送でスタンバイしている以上、不可能なことでした」
和田豊「僕は地味なタイプの選手でしたが…」
同じ夜。名古屋での試合を終え、翌日に引退試合を控えていた和田豊(現阪神一・二軍打撃巡回コーディネーター)は、自宅で日テレの中継を静かに観ていた。日程の巡り合わせで突如自らの引退試合に重なった長嶋監督の最後の花道。ともすれば主役を奪われやしないかと不安になりそうなものだが、和田はこの運命を恨むどころか感謝していたという。
「僕は地味なタイプの選手でしたが、小さい頃は長嶋さんに憧れて野球をはじめ、プレーのマネもしてました。長嶋さんが現役を引退した時は、喪失感のあまり野球をやめようとしたほどです。そんな長嶋さんの監督最終戦が、僕の引退試合と同じ日に重なるなんてね。いろんな思いが込み上げていました」

