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「阪神は当初、“おまけ”のつもりで獲得した」バースはなぜ“史上最強の助っ人”になれたのか?「アイツがひとりで考えたことなんよ」岡田彰布の証言

posted2025/08/01 11:12

 
「阪神は当初、“おまけ”のつもりで獲得した」バースはなぜ“史上最強の助っ人”になれたのか?「アイツがひとりで考えたことなんよ」岡田彰布の証言<Number Web> photograph by KYODO

当初は「サブ要員」のような立場で阪神に入団したランディ・バース

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内匠宏幸

内匠宏幸Hiroyuki Takumi

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40年前、ひとりのアメリカ人スラッガーが阪神タイガースを日本一に導いた。入団当初は「2番手の外国人選手」に過ぎなかった男は、なぜ「史上最強の助っ人」としてプロ野球史に名を刻むことになったのか。岡田彰布、川藤幸三ら当時のチームメートたちの証言から、ランディ・バースの素顔に迫った。(全2回の1回目/後編へ)※文中敬称略

本命ストローターの「おまけ」だったバース

 優勝に向け、独走状態に入った阪神だが、打線の先発メンバーを見ると、そこにカタカナ表記はない。外国人バッターがいない極めて稀有な打線といえる。というのも過去の優勝時、そこには必ずキーとなる外国人が存在していたからだ。

 2023年には日本一を決定付けた本塁打を放ったシェルドン・ノイジーがいて、2005年はアンディ・シーツ。2003年はジョージ・アリアスが存在感を示した。だが、中でも強烈なインパクトを与えたのが1985年、球団史上初の日本一に導いたランディ・バースだった。

 日本球界で史上最強の外国人打者と誰もが認めるバースとは、どんな選手だったのか。なぜ、2年連続三冠王という離れ業を成し遂げることができたのか。それはサブ要員からの逆襲といえるサクセスストーリーでもあった。

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 いまから43年前の1982年のオフ。当時の監督だった安藤統男は打力強化のため、自ら外国人選手を獲得しようとハワイ・ホノルルに飛んだ。米大リーグのウインター・ミーティングに参加し、まずメジャーリーガーの獲得に成功。それがスティーブ・ストローターだった。そこからもうひとり……となったが、それはあくまで2番手、サブ的な要員であり、熱を入れて獲得に動いたわけではなかった。

 メジャーとマイナーを行き来する中途半端なバッターを何気なくピックアップした。それがランディ・バースだった。のちに史上最高の外国人打者になるバースは、なんと「おまけ」のような立場で阪神にやってきたのである。

【次ページ】 本来、名前の表記は「バス」だったが…

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