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「こいつ何者?」バウアーを唖然とさせた中日・細川成也…現役ドラフト→球宴出場の24歳が目覚めたレジェンドの言葉と“遅咲きの極意” 

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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photograph byJIJI PRESS

posted2023/07/14 11:03

「こいつ何者?」バウアーを唖然とさせた中日・細川成也…現役ドラフト→球宴出場の24歳が目覚めたレジェンドの言葉と“遅咲きの極意”<Number Web> photograph by JIJI PRESS

ドラゴンズファンのハートを掴んだ細川

和田コーチとの運命の出会い

 そこに就任したのが和田コーチだった。細川を明秀日立高で鍛えた金沢成奉監督は、東北福祉大の和田コーチの先輩にあたり、在学中はコーチとして指導を受けた。共通の恩師から「よろしく」と頼まれるまでもなく、キャンプから「細川を何とかしてくれ」はチームの必須課題だった。

 沖縄キャンプではテニスラケットを使用した練習を取り入れた。フォアハンドで打ち返すのは「足と体幹の使い方を覚えてほしかった。野球の打撃と通じる部分があるんです」と説明。スライドボードに乗っかって打つ練習も「軸足に体重を乗せる感覚を覚えてほしい」と話した。

バウアーの度肝を抜いた2発

 開幕から安定した成績を残していた細川だが、周囲の度肝を抜いたのは5月27日のDeNA戦だろう。トレバー・バウアーから、自身初の1試合2本塁打。しかも広いバンテリンドームの左翼スタンドに続き、逆方向の右翼にも運び、サイ・ヤング賞右腕を「こいつは何者なんだ?」と呆然とさせたのは印象的だ。

 人間はちょっとした環境の変化で、才能を発揮する。それを証明しているのが細川だが、実は晩成型という意味では、和田コーチこそ超のつく晩成だった。そもそも大学と社会人(神戸製鋼)を経由してのプロ入りだったため、今の細川と同じ25歳シーズンがスタートだった。なおかつ最初の4年間は計86安打、4本塁打。当時の和田は捕手だったが、伊東勤という大きな壁に阻まれ、代打や不慣れな外野で細々と出場機会を得る存在に過ぎなかった。

 最初の恩師は入団時の打撃コーチだった土井正博だった。左肩が早く開いてしまう悪癖があった和田のフォームを修正するにあたって「最初から開いて構えればいいんだ」と、後に代名詞となる極端なオープンスタンスを提案したのが土井コーチだった。欠点を無理に直そうとしない逆転の発想。そのままでは振りにいけないから、自然に左肩は投手の方を向く。名伯楽との出会いが、後々に大きな意味を持った。

【次ページ】 師匠も超遅咲き打者だった

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