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「こいつ何者?」バウアーを唖然とさせた中日・細川成也…現役ドラフト→球宴出場の24歳が目覚めたレジェンドの言葉と“遅咲きの極意”
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/14 11:03
ドラゴンズファンのハートを掴んだ細川
師匠も超遅咲き打者だった
それでも伸び悩んでいた和田に、第2の出会いが待っていた。入団5年目に入閣した金森栄治コーチである。金森氏といえば小柄な左打者で、通算27本塁打。和田とは真逆のタイプだったが、打撃理論は超一流だった。和田に教えたのは「ポイントは近く、詰まることを恐れるな」だった。多くの打者は詰まらされることを嫌い、前でさばこうとする。この考え方が、和田とどんぴしゃに合った。出会った2001年に16本塁打。翌02年は伊原春樹新監督から「もうキャッチャーミットは使わなくていい」と外野専従を伝えられた。これにより守備の負担が軽くなり、33本塁打とさらに倍増した。
大卒・社会人経由の名球会会員は3人(古田敦也、宮本慎也)しかいないが、和田の場合は実質30歳からレギュラーとなった超遅咲き選手だった。
和田からかけられた言葉
「和田コーチには打てなくなった時期も、今までは試合に出たくても出られなくって苦しんでいたんだろ? 試合に出て悩めるなんて幸せなことじゃないかって声をかけてもらってました。その和田さんが活躍したのも30歳のシーズンからって聞きました。そこから2000安打ですもんね。本当にすごいと思います」
30歳から名球会に入ったことは確かにすごいが、30歳からでも人生を切り開けることを証明したのはもっとすごい。ましてや細川は8月で25歳。和田コーチに言わせれば「まだまだ若い」。現役ドラフトという制度が導入されていなければ、トレードに閉鎖的な日本ではどうなっていたかわからない。和田が土井コーチ、金森コーチと出会ったように、移った中日に和田コーチが就任した。そこからのシンデレラストーリー。この2人の出会いは、運命だったのかもしれない。
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