「広岡達朗」という仮面――1978年のスワローズBACK NUMBER

ヤクルト監督・若松勉に広岡達朗から突然の電話「監督は大変だよな」…“どれだけ嫌われても決して妥協しない人”広岡の知られざる素顔 

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長谷川晶一

長谷川晶一Shoichi Hasegawa

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photograph byJIJI PRESS/BUNGEISHUNJU

posted2023/07/13 17:31

ヤクルト監督・若松勉に広岡達朗から突然の電話「監督は大変だよな」…“どれだけ嫌われても決して妥協しない人”広岡の知られざる素顔<Number Web> photograph by JIJI PRESS/BUNGEISHUNJU

2001年、優勝目前で足踏みしていたヤクルトの監督・若松勉(左)に電話をかけた広岡達朗。かつての指揮官はどんな助言を送ったのか

2001年優勝直前、広岡からの突然の電話

 その後、広岡との関係は断続的に続いた。若松は1989年まで現役を続け、評論家活動を経た後に指導者として古巣のユニフォームを着た。そして、野村克也の後を受け、99年からはヤクルトの監督となった。この頃、若松には忘れられない思い出がある。2001年シーズン、「若松ヤクルト」が初優勝に向けて進む中、足踏み状態が続いていたときのことだ。

「優勝目前のことでした。神宮でジャイアンツと天王山の戦いで敗れたときのことです。このとき1つでも勝っていればとてもラクだったけれど、逆に追い詰められた状態になって、名古屋でドラゴンズとの4連戦がありました。その日は移動ゲームで、名古屋のホテルについてすぐに球場に向かわなければいけなかった。そのとき広岡さんから電話がありました……」

 突然の電話に若松は驚いた。そして、その通話内容に感激する。

「……広岡さんは第一声、“大変だろう”って言いました。“監督とは大変だよな”って。だから僕も“大変ですね”と答えると、“一度、みんなを集めて、頑張れでも何でもいいから、ひと声かけた方がいいと思う”とアドバイスしてくれました。そして、“たとえ負けても、自分で責任をとればいいんだから。とにかく頑張れ!”って。あの電話はすごく嬉しかったですね」

 若松が語るのは01年シーズン終盤、9月25日のことだった。神宮で巨人に3連敗を喫し、1.5ゲーム差に詰め寄られた翌日、ナインは移動日なしで名古屋での4連戦に臨むことになった。この日、広岡のアドバイス通り、ナゴヤドームでの試合前に若松は選手を集めて、全体ミーティングを行った。

「このとき、“残り13試合、悔いのないようにやろうじゃないか”という話をし、“責任はオレがとるから頑張ってくれ”と言いました。そして、この日から4連勝して、優勝することができたんです」

 突然かかってきた広岡からの激励の電話。あれから22年のときが経過した今、若松は恩師からのエールをどのように受けとめたのか?

「やっぱり嬉しかったですよ。そして、“よっしゃ”という思いにもなれました。でも、やっぱり“ありがとう”の思いが強いですかね」

【次ページ】 若松勉にとっての「広岡達朗」とは?

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