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元大関・魁皇50歳はなぜ“千代の富士の記録を超えた日”にインタビューを断ったのか? 盟友・千代大海との友情秘話「土俵に取り残されたような…」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/08 11:21
2011年7月、魁皇は千代の富士に並ぶ歴代最多(当時)の通算1045勝を達成。尊敬する元千代の富士の九重親方と握手を交わした
――じつは私自身も、小学生くらいの頃にサインをいただいた記憶があって(笑)。すごく優しいお相撲さん、という印象があります。
本当に? 優しくしていてよかった(笑)。特に子どもの場合は、大人になっても覚えているくらいの強い印象が残りますからね。少しでも「お相撲さんっていいな」「相撲って面白いな」と思ってもらえるようにしないといけない。例えば、ちょっと体の大きい子に「相撲取りになるか」なんて軽口を叩くと、かえって怖がらせたり力士に近寄らなくなったりしてしまうので、そういうことも絶対に言わなかったです。自分も「相撲取りになれ」と言われるのはイヤでしたから(笑)。
会うだけでファンに喜んでもらえるというのは、他のスポーツではなかなかないこと。不思議なもので、最初は本当に相撲が嫌いだったけど、そうやっていろんな経験をしていくうちに、だんだんと愛着が湧いてきてね。「この世界にいることができてよかったな」と思うようになりました。だから、大ケガもしたけど、やめたいと思ったことはありませんでした。
魁皇にとっての「最強の力士」とは?
――ケガからの復帰後、1993年の夏場所で新入幕を果たした魁皇関。順調に番付を上げていき、1994年5月の新三役昇進後は三役の地位に定着します。背中を追いかけてきた若乃花関や貴乃花関、曙関といった同期の面々(花の六三組)との対戦も実現していくわけですが、親方の長いキャリアのなかで「一番強い」と思った力士はどなたでしたか。
やっぱり貴乃花ですね。同い年で、自分も目一杯元気なときでしたが、“自分の形”になっても勝てる気がしなかった。ほかの人は「左四つになればなんとかなるかな」と思えたけど、そういうふうにすら思えなかったのは貴乃花だけです。
――とはいえ、剛腕でならした魁皇関です。さすがにパワーでは負けなかったのでは……?
そう思うでしょう? 貴乃花はね、力もとんでもなく強いんですよ(笑)。腕だけではなくて、全身の力。いまの言葉で表現するなら“体幹の力”がある人でした。いや、本当にものすごいものがありましたよ。あれはやっぱり、相撲を基礎から徹底的にやってきた人の強さでしたね。
――入門時から意識してきた相手との対戦ですし、やはり感慨もありましたか?
それはもう、言葉にならないくらいうれしかったですよ。「やっと対戦できるところまで来たぞ!」って。最初の頃は、対戦する前日の夜なんか興奮して眠れませんでしたから。興奮して寝られないし、相撲は負けるしで無茶苦茶でしたけど(笑)。でもね、15、16歳の頃には100%勝てなかった相手に、なんとか「たまには勝てる」くらいのところまで成長できた。それは自分でもよかったなと思います。