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元大関・魁皇50歳はなぜ“千代の富士の記録を超えた日”にインタビューを断ったのか? 盟友・千代大海との友情秘話「土俵に取り残されたような…」
text by
飯塚さきSaki Iizuka
photograph byJIJI PRESS
posted2023/07/08 11:21
2011年7月、魁皇は千代の富士に並ぶ歴代最多(当時)の通算1045勝を達成。尊敬する元千代の富士の九重親方と握手を交わした
武双山との「人生を変えた一番」
――また、ライバルとしては武双山関(現・藤島親方)の名前が挙げられると思います。特に印象に残っている取組はありますか。
自分が大関に上がる前、武双山の初優勝がかかった場所(2000年初場所)で、みっともなく負けたんです。立ち合いから横に逃げるような相撲を取って、土俵下に吹っ飛ばされて……。そのときのショックは大きくてね。場所休みの1週間はほぼ家にこもっていたし、テレビをつけると武双山が出てくるから電源も入れなかった。その後、2月のトーナメントでケガをして、3月の大阪でもろくな成績を残せませんでした(小結で8勝7敗)。
このままじゃダメだと思い、師匠に「自分自身を見つめ直したいので、巡業を休ませてください」と頭を下げて、初めて相撲から離れました。それから1カ月半くらいの間、いままで力士には必要ないと思っていた筋トレを本格的に取り入れたんです。1日2回、ひたすらジムに通って、エアロバイクにストレッチ、ウエイトトレーニング、プール……。最初はウエイトも面白いくらい弱かったです。
――えっ! あれだけの怪力を誇った魁皇関が「ウエイトは苦手」というのは意外です。
相撲の力はあったけど、体の前後左右のバランスがとても悪かったんです。だから、トレーナーさんに見てもらいながら体のバランスを整えました。チェストプレスマシンなんか最初は100kgそこそこ。でも、1カ月半毎日やったら最後は250kgまでいけました。その後、場所前にしたことは相撲の基礎です。四股、すり足、てっぽう、ぶつかり稽古。そして場所直前に立ち合いの練習。そうやって自分の体と向き合ったことが、結果として初優勝(2000年夏場所)につながりました。それを足がかりに大関にも昇進できましたし、あのとき武双山に負けたからこそ、自分自身が変わることができた。思い出したくないくらい悔しい相撲ですけど、自分の人生を変えたのは、やっぱりあの一番だったかなと思います。
――そんな武双山関と、土俵外での親交はありましたか。
大関に上がってからは一緒に出掛けるようなことはなかったけど、互いに平幕くらいのときは「その場所で勝ったほうがおごる」という飲み会をやっていましたね。向こうも男気があるんでね、「俺がおごるよ」なんて言うと「いや、今場所お前は負けたんだから黙っとけ」って(笑)。お互いにそういうことはありました。