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伊良部秀輝“メディアが一斉に消えた”ヤンキース放出後の激変「誰かがそばにいれば…」“日本人メジャーリーガー”激増のウラに伊良部がいた
posted2023/07/06 11:03
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
Kazuaki Nishiyama
電撃メジャー挑戦、メディアとの確執、オーナーの批判……激動のメジャー時代を追った記者が綴る「伊良部秀輝の真実」〈全3回の#3/#1、#2へ〉
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ヤンキースから放出されるまで
ヤンキースでの最後は、寂しいものだった。
チームは1999年に2年連続で地区優勝を果たしポストシーズンに進出したが、伊良部秀輝は最初のレンジャーズとのディビジョンシリーズでは出場登録を外れ、次のレッドソックスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは登板したが、散々な結果だった。
チームが初戦から2連勝して迎えた第3戦。先発のロジャー・クレメンスが6安打4失点と大乱調で2回0/3で降板後、3回無死一塁と走者を背負った状況で2番手として伊良部が登板するも、1人目の打者にいきなり2ラン本塁打を浴びた。その後も失点を重ね、7回に再び2ラン。4回2/3を13安打8失点(自責点7)でマウンドを降り、この試合がメジャーのポストシーズンで唯一の登板となった。試合後、伊良部は肩を落とし、こう語っている。
「非常に難しいシチュエーションだった。イニングの途中から出る経験があまりない。何とか流れを変えようとしたが、ことごとく裏目に出た。うまくかみ合わない。向こうが勢いづいてる。どうやって止めるんだという気持ちになった。がっかりしている。表現のしようがないくらい」
ヤンキースはこの試合を落としシリーズを2勝1敗としたが、その後の2試合を連勝してワールドシリーズに進出。そこでブレーブスに4連勝し2年連続でワールドシリーズを制した。だが、数日後にニューヨークのマンハッタンで行われた優勝パレードに伊良部の姿はなかった。モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)にトレードされたのは、それから約2カ月後の12月22日だった。