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伊良部秀輝“メディアが一斉に消えた”ヤンキース放出後の激変「誰かがそばにいれば…」“日本人メジャーリーガー”激増のウラに伊良部がいた 

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水次祥子

水次祥子Shoko Mizutsugi

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photograph byKazuaki Nishiyama

posted2023/07/06 11:03

伊良部秀輝“メディアが一斉に消えた”ヤンキース放出後の激変「誰かがそばにいれば…」“日本人メジャーリーガー”激増のウラに伊良部がいた<Number Web> photograph by Kazuaki Nishiyama

かつてヤンキースほかメジャーで活躍した伊良部秀輝

「仲直りしよう」「俺は一生許さない」

 エクスポズ時代はケガを繰り返し、2000年から2年間所属したが計14試合の登板に終わった。だが2002年はレンジャーズとマイナー契約を結び、リリーフ投手として開幕からメジャー入りし、シーズン途中からは守護神にも抜擢され活躍した。

 筆者はヤンキースを離れてからの伊良部を取材する機会はほとんどなかったが、他の記者から噂はよく耳に入ってきた。驚くことに、話に聞く伊良部はヤンキース時代とはまるで別人だった。誰か記者が取材に訪ねていくと、いつまでも話し込むようなお喋り好きで、放っておくと永遠に会話が終わらないのではないかというほどだったという。日本人メジャー初の野手としてイチローがマリナーズでデビューし、阪神からメッツに移籍した新庄剛志もいたためほとんどの日本の報道陣はそちらに取材の足場を移し、伊良部のところに来るメディアはいなくなっていた。大勢の報道陣に囲まれる日々からの解放感もあっただろうが、注目されない寂しさもまた感じていたのだろうか。

 取材することはほぼなくなっていたものの、相手チームに所属する選手の取材に行った際に伊良部には何度か会ったことがあった。あるとき練習が終わったあとに挨拶に行くと、ヤンキースタジアムの地下通路での一件を蒸し返されたが「俺はもう怒っていない。仲直りしよう」と言って握手を求めてきた。だがまた別の機会に訪ねると「何しに来た。俺は一生、許さない」と言われた。

 恐らく伊良部は、たくさんの思いを心の中に抱えていたのではないだろうか。それは必ずしも一貫しているわけではなく、矛盾をはらんでいたと思う。その日の体調や気分によって、口を突いて出てくる言葉は真逆になることもある。そう考えれば説明がつくと、自分なりには納得していた。

阪神移籍、うどん店経営…メジャーを離れた後

 レンジャーズを1年で退団した伊良部は、帰国して阪神で2年間プレーしたが、2年目のキャンプ中に暴力事件を起こすなどトラブルもあった。現役引退後の2005年には米国に戻りロサンゼルスでうどん店を経営した。メディア関係者の中にはその店に行ったという人もいたが、筆者は一度も行かないまま、そのうち風の便りで店はもうやっていないようだという噂は入ってきていた。独立リーグでプレーした後、2度目の現役引退を発表したのは2010年1月だった。

【次ページ】 先にこの世を去っていた「2人」

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