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「黒人のためのボイコット」を求められても、人類初9秒台の黒人選手は五輪に出場した…ジム・ハインズが明かした“同調圧力に屈しなかった理由”<追悼>
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byAP/AFLO
posted2023/06/11 11:00
メキシコ五輪では100m、4×100mリレーで金メダルと2冠を成し遂げたジム・ハインズ。人類の歴史に名を刻んだレジェンドが生前、語っていたのは…
メジャーリーガーになるのが夢だった
ハインズは、米国中南部アーカンソー州に生まれ、西海岸のカリフォルニア州オークランドで育った。12人兄弟の9番目。いつも兄弟たちと近所を走り回ったり、野球をする活発な少年だった。
「野球が大好きだった。(サンフランシスコ・ジャイアンツのセンターだった)ウィリー・メイズに憧れて、彼のようになりたくて、よく真似をしていた」
メジャーリーガーになるのが夢だったハインズは、高校では野球部に入部。足の速さを生かし、外野手として活躍していた。
転機は突然おとずれた。
ある日の試合。センターを守っていたハインズ少年は、ライトへの大きな当たりに猛ダッシュでカバーに入った。
「ライトの選手よりも早く落下地点に着いたからキャッチしたんだけど、それを高校の陸上部のコーチが見ていて、『陸上をやってみないか』と誘われたんだ。陸上のスピード感が楽しかったし、記録もどんどん伸びた。全米の高校生で一番いい記録を出したので、野球も好きだったけれど、これは陸上に絞ろうと思った」
スタートで出遅れても気にするな
その後、テキサスサザン大学に進学。そこでスタン・ライトコーチの指導を受ける。ライトは陸上の米国代表チームのヘッドコーチも務める優秀な指導者だった。
「高校時代は技術があまりなかったので、後半のスピードを武器に戦っていた。大学ではスタートから細かく指導されたけど、スタートが苦手でね。コーチもそれを分かっていたから、『60m以降は誰にも負けない力があるから、スタートで出遅れても気にするな。自分の走りに集中しろ』とよく言われていた」
ボイコットを求める同調圧力
ライトとの二人三脚の末、念願の五輪代表権を手にし、意欲的に練習していたハインズを待ち受けていたのは、周囲からの圧力だった。