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「黒人のためのボイコット」を求められても、人類初9秒台の黒人選手は五輪に出場した…ジム・ハインズが明かした“同調圧力に屈しなかった理由”<追悼>
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph byAP/AFLO
posted2023/06/11 11:00
メキシコ五輪では100m、4×100mリレーで金メダルと2冠を成し遂げたジム・ハインズ。人類の歴史に名を刻んだレジェンドが生前、語っていたのは…
1960年代、米国は人権運動で社会が大きく揺れていた。メキシコシティー五輪開催直前の1968年4月にキング牧師が暗殺されるとその動きはさらに活発になった。人権運動に携わっていた活動家たちは、黒人選手にボイコットを強く促した。
「黒人の人権を世間に訴えるためにボイコットするのは間違っている。五輪の舞台で活躍し、結果を出すことで世間に広く周知できるはず、と自分は考えていた」
ハインズは自分の目標を貫き、同調圧力には屈しなかった。走らないのではなく、走ることで黒人の存在と人権を世間にアピールしたい、そう思った。
五輪でも9秒台
そして人類初の9秒台の称号を持って乗り込んだ五輪の大舞台で、『スピードの夜』を再現した。
10月14日の男子100m決勝。ハインズは3レーンに入った。スタートはほぼ横一線。加速面を抜けると183cmの身長を生かした大きなストライドと伸びやかな走りで他を圧倒した。「60m以降は誰にも負けない」と話すように、トップスピードに乗るとライバル選手たちを大きく引き離し、フィニッシュラインを駆け抜けた。
9秒89。
電光掲示板の速報に観客はどよめいた。厳正に確認作業が行われた後、記録は9秒95に修正されたものの、電動計測で初めて記録された9秒台だった。この記録は1983年に米国のカルビン・スミスに破られるまで15年間にわたって、世界記録として輝き続けた。
メキシコシティー五輪は人生最高のレース
6日後に行われた4×100mリレーでアンカーを任されたハインズは、混戦のなかでバトンを受け取ると躍動感あふれる走りで首位をとらえ、世界新記録で2つめの金メダルを獲得。フィニッシュすると右手で持っていたバトンをスタンドに投げるパフォーマンスも見せた。