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右ひじ故障も防御率0.91で新人王獲得…30年前、セ・リーグを席巻した「伝説の高速スライダー」伊藤智仁が語る“生涯最高のピッチング”
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2023/06/09 06:01
ドラフト同期の松井秀喜などを抑え、規定投球回数に達していなかったが、新人王となった伊藤。ルーキーイヤーを本人が振り返った
「スライダーはカウント球には使いたくない。ストレート2球で追い込んだら、最後にスライダー。投げた瞬間、(アウトを確信して)後ろを向いていましたよ」
新人とは思えない風格を漂わせていた。
しかしである。伊藤の理想はもっと違うところにあった。
「実はぼく、三振を取りたいなんて思ったことがないんです。できれば1球でアウトを取りたい。だってカウント球を凡打してくれたら、めちゃくちゃ楽ですから」
つまりは省エネ投法。それが金沢ではできなかった。
「ほんとうに調子が悪くて、カウント球を打たせられない。無駄な球を投げてフォアボールを出し、ファウルでも粘られる。三振は多く取れましたが、150球も投げてしまった。それはしんどいわけですよ」
篠塚さんに長打はない
苦しみながらも16三振を奪った伊藤は9回裏2死、途中出場の篠塚に初球をライトスタンドに叩き込まれる。この年の伊藤は、426人の打者と対峙して3本しかホームランを許していない。その1本が劇的な場面で飛び出した。
篠塚は、この打席でベテランらしい巧みな駆け引きをした。矢継ぎ早に投げ込む伊藤のリズムを狂わそうと打席を2度外し、そのことを殊勲打の要因に挙げている。
打たれた伊藤の見解は違った。
「ぼくが単に経験不足だったというだけです。篠塚さんに長打はないと決めてかかり、ヒットならオーケーと安易に投げちゃったんですよ。球場の狭さや、こういうときのベテランの心理を考えていなかった」
野村監督と古田の“反省会”
試合後、観客の消えた球場のベンチには、野村克也監督と古田捕手の姿があった。