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「お前、何やっとんじゃ! ちょっと来い!」阪神・星野仙一監督は赤星憲広に激怒しながらも笑顔だった?「最初からレギュラーに決めてたよ」
posted2023/06/08 17:00
text by
生島淳Jun Ikushima
photograph by
JIJI PRESS
現在発売中のNumber1074号掲載の[Vを呼んだ人心掌握術]星野仙一「怖さより、深い優しさで」より内容を一部抜粋してお届けします。【記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます】
2002年、タイガースの選手たちは、覚悟を決めなければならなかった。
星野さんがやってくる。きっと、怒られるんやろな――。
1980年代の終わりから阪神は低迷期に入っていた。'01年まで4年連続で最下位、しかも久々の外様監督として野村克也を招いても状況は変わらなかった。そこに中日で指揮を執っていた星野仙一を招聘した。劇薬の投入である。
愛知県刈谷市出身、'01年に入団した赤星憲広は「闘将星野」のファンとして育った。
「中日の人というイメージが強く、厳しいことで有名でしたが、阪神で震えあがるほど怖かったかというと、そんなことはなかったです。むしろ、人心掌握術に優れていて、選手個人に対してアプローチを変えられる繊細さを持ってらっしゃった方です」
赤星は「プロにたどり着くまでに遠回りした」という感覚を持っており、逆境に追い込まれれば追い込まれるほど、燃えるタイプだった。
「星野さんはすぐに僕の性格を見抜いたと思います。キャンプの時、新聞に開幕予想オーダーが出るじゃないですか。僕の名前は入っていませんでした。代走要員。監督がそういう雰囲気を出すんです。当然、危機感が芽生えます」
「お前、何やっとんじゃ! ちょっと来い!」
2月の春季キャンプ中、翌日が休養日となる夜、赤星は宿舎の前で、たったひとりで素振りを続けていた。そこに関係者と会食を終え、ご機嫌の星野が帰ってきた。
「いきなり『お前、何やっとんじゃ! ちょっと来い!』という監督の怒鳴り声が聞こえてきました。恐る恐る近寄っていくと『わざと、俺の前でアピールか?』と言っているのに、笑顔だったんです。それが初めて監督に褒められた瞬間でした」
そして開幕直前の新聞には、先発予想に赤星の名前が載っていた。
「赤星は最初からレギュラーに決めてたよ、と監督がコメントしてるんです。最初から言ってくださいよって感じです(笑)。『キャンプでいちばんバットを振ったのは、アイツや』とも書かれていて、ああ、見ていてくれたんだなと思いました」
星野が直接、選手に思いを伝えることは稀だった。番記者を通して伝えることが多く、選手たちも新聞記事を丹念に読んだ。しかし、'02年は4位。最下位は脱出したものの、上位との差はまだ大きかった。