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右ひじ故障も防御率0.91で新人王獲得…30年前、セ・リーグを席巻した「伝説の高速スライダー」伊藤智仁が語る“生涯最高のピッチング”
posted2023/06/09 06:01
text by
熊崎敬Takashi Kumazaki
photograph by
Kazuaki Nishiyama
Number975号(2019年3月28日発売)より[追憶の高速スライダー]伊藤智仁「衝撃と悲運の1733球」を特別に無料公開します。※肩書などはすべて取材当時のまま
金属バットに鍛えられた
平成が始まって5年目、1993年のプロ野球界はひとりの若者の快刀乱麻のピッチングに沸き立った。ヤクルトのドラフト1位ルーキー、伊藤智仁である。
伊藤は7勝2敗、防御率0.91という成績で新人王に選ばれたが、実はこの年、オールスター前の3カ月しかマウンドに立っていない。右ひじを故障して、戦列を離れたからだ。
伊藤智仁の名前から、多くのファンは「高速スライダー」を想起するはずだ。
京都・花園高校を卒業した伊藤は、三菱自動車京都を経てヤクルトに入団した。高速スライダーが生まれたのは、4年間の社会人時代のことである。
「社会人野球では金属バットが使用されていたので、1番から9番まで気が抜けませんでした。芯を外してもバットに当たると間違いが起きてしまう。だから大きく変化して、空振りを取るボールが必要でした。当時、社会人出身の投手の多くがプロで即戦力になっていますが、それは金属バットに鍛えられたからだと思いますよ」
その日のうちに先輩と同じくらい曲がった
そういって伊藤は、シンカーの潮崎哲也とフォークの野茂英雄を挙げた。
伊藤は社会人時代の先輩からスライダーを教わったが、「その日のうちに先輩と同じくらい曲がった」。
「センスがあったんでしょう。この回転軸で、これくらい回転数をかけると、これくらい曲がるというイメージが湧くんです」
センスに加えて肉体にも恵まれていた。長い手足と柔らかい関節を駆使して、伸びやかなストレートと大きく横滑りするスライダーを投げ込んだ。
古田敦也が「直角に曲がる」と評した魔球
「あのスライダーを投げるには、たしかに有利な体型だったと思います。でも、コントロールは悪かったですよ。腕が長いと制御しづらいですから。でもぼくの長い腕は変化球を投げたり、前でボールを離すということでは有利だったかな」