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[“音速”から“大王”まで]1996-2004 “WORD”――三宅正治「あの実況席に憧れて」
posted2023/05/20 09:01
text by
寺島史彦(Number編集部)Fumihiko Terashima
photograph by
Hirofumi Kamaya
世紀をまたぎ、ダービーという夢舞台を伝えること8回。彼の実況は、レースの記憶と一体となって刻まれている。時代を越えて感動を呼ぶ言葉はいかにして生まれたのか。フジテレビの“朝の顔”が、府中の実況席を回想する。
――ダービーのお話を伺う前に、三宅さんは初めてGIの実況をされた時のことを覚えていますか?
「1988年の安田記念ですね。入社4年目でした。レースを目で追ってはいるのだけど、映像が脳に伝わってこなくて焦ったことを覚えています。府中の直線がとんでもなく長く感じました。フジテレビでは、新馬戦から特別レースまでの実況は若手の仕事で、そこで力をつけていく。僕も何百回というレースを経験していたのに、GIのプレッシャーの凄まじさを肌で感じたのを今も鮮明に覚えています」
――三宅さんはもともと「ダービーの実況をしたい」というのがフジテレビを受験する際の志望動機のひとつだったそうですね。
「僕は大学時代、フジのスポーツ局でアルバイトをしていました。そこでちょうどミスターシービー('83年)とシンボリルドルフ('84年)でのダービーで盛山(毅)さんの実況を目の当たりにしたんです。双眼鏡ひとつで原稿もなく喋りまくり、ドラマを作り上げていく姿に憧れました。ただ入社してからは、ダービーの実況なんて夢のまた夢です。優秀な先輩がたくさんいて、あの人たちを抜かないといけない。順番が回ってくるのはいつになるんだろうな、って」