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「自慢のお母ちゃんじゃないか、って」DeNA山崎康晃が語るフィリピンのルーツへの誇り 亡き母が最後に託した「ソーパス」の味〈母の日〉 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2023/05/14 11:03

「自慢のお母ちゃんじゃないか、って」DeNA山崎康晃が語るフィリピンのルーツへの誇り 亡き母が最後に託した「ソーパス」の味〈母の日〉<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

投手キャプテンとして好調のDeNAを引っ張る山崎康晃

野球は、離婚した父に会える時間だった

 今でも少しだけ後悔している、と振り返る一言がある。ベリアさんは昼夜問わず働くなか、土日は山崎がプレーする少年野球の当番もこなし、お弁当も作って持たせてくれていた。一方で、離婚した父親はその少年野球のコーチをつとめており、山崎にとって大好きな野球は父に会える時間でもあった。

「ある時、父に『お母さんのお弁当は美味しくない』って言ってしまったんです。父は料理人だったので『来週から俺が弁当を作るからお母さんに伝えておけ』って。それをそのまま、お母さんに伝えてしまった。子どもだったので何も考えずに『来週からお父さんに作ってもらうから、お母さんもうお弁当作らなくていいよ』って。お母さんは何も言わなかったけれど、すごく落ち込んでいるのがわかりました」

 その思いに変化が生じたのは、状況がわかるようになった中学に入る頃のことだ。昼夜問わず働き、忙しい生活の中でも惜しみなく愛情を注いでくれる姿に、尊敬の思いが強くなっていった。

「フィリピンから出てきて、海外で出会った人と結婚して異国で子どもを産む。ましてや独り身で僕たちきょうだいを育ててくれている。その大変さや苦労がわかるようになったら、自慢のお母ちゃんじゃないか、って思うようになったんですね。そこからはずっと、僕にとっての誇りでした。母を守りたいと思ったし、全部ひっくるめて必ずいつか恩返しをするんだ、って思っていました」

「お母さんには嘘はつけない」

 強豪・帝京高校に進学し、エースとなって甲子園を目指した3年夏の東東京大会では、5回戦で敗退。プロ志望届を出したが、ドラフト会議で指名の声は掛からなかった。一度は挫折したプロ野球選手という夢。それでも心が折れなかったのは、母に恩返しをしたいという強い思いがあったからだ。

「大学(亜細亜大)に進学した後の4年間は、ひたすら野球に打ち込みました。寮に入っていましたが、パチンコも、お酒も、タバコも絶対にやらなかった。母が一生懸命働いた仕送りを遊びには使えない。お母さんには絶対に嘘をつけないって思っていたから歩みを止めることはできないし、絶対にやらないといけないって。だから強くなれたと思います」

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