野球クロスロードBACK NUMBER
「マスコミに頭にきてるんです」“変わるセンバツ”で明徳義塾・馬淵史郎監督の変わらない発言力…試合後の怒りのワケは?「牽制なんかしてない」
posted2025/03/19 17:23

春夏合わせて39回目の甲子園となった明徳義塾の馬淵史郎監督。歴代監督として最多の出場回数を誇り、数々の伝説を作り出してきた
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
JIJI PRESS
今年のセンバツはメンツが様変わりした。
98年ぶりに代表を逃した大阪勢。伝統に区切りを迎えたなか、スポーツに特化して創立された沖縄のエナジックスポーツが、創部3年目で初の甲子園切符を掴んだ。
一方で、もちろん常連も顔を揃える。
ADVERTISEMENT
そのひとつが高知の明徳義塾だ。センバツこそ4年ぶりだが、チームを率いる馬淵史郎は春夏合わせて39回目の甲子園となる。これは歴代の監督として最多なのだそうだ。2002年の夏に初の日本一を成し遂げ、監督として通算55勝とキャリアも申し分ない。
なにせ馬淵は策士である。
1992年夏に星稜・松井秀喜を5打席連続で敬遠したことで猛烈な非難を浴びたが、それは「そのあとのバッターがスライダーを打てないことがわかっていた」という明確な根拠があってこその作戦だった。
センバツでも健在だった「馬淵節」
世間はそんな抜け目ない名将の野球を注視し、発言の数々に耳を立てる。
今年のセンバツでも馬淵節は健在だった。
初戦の相手が昨年優勝の健大高崎に決まると、「うちは負けて元々」と泰然自若としていたという。さらに、最速158キロとも言われる「大会ナンバーワン」ピッチャーの石垣元気が、大会直前に左脇腹を痛めたことを知ると「全然ダメらしいね」と情勢を口にし、開会式のリハーサル前の監督対談では、相手監督の青柳博文に「投げさせないほうがいいんじゃないか」と進言したそうだ。
これらの文脈から紐解けば、馬淵の試合はすでに始まっており、心理戦に持ち込もうとしているのかとも考察できた。