ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
「一団体500万。新日本と全日本は2000万円」“歴史から抹殺された”プロレスオールスター戦を覚えているか? ターザン山本が語る「寝耳に水」の顛末
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byAFLO
posted2023/04/26 11:00
1979年8月26日の『プロレス夢のオールスター戦』で復活したBI砲
『夢の懸け橋』はこうして“黒歴史”になった
今年2月21日に東京ドームで行われた武藤敬司引退試合の観客数が主催者発表で3万96人。チケット料金が違うとはいえ、『夢の懸け橋』のペイラインがあまりにも高すぎなことがよくわかる。
そして『夢の懸け橋』の後、東京ドームでオールスター戦を自社開催するほどの影響力を持ってしまった『週プロ』を、業界の盟主である新日本が警戒。現場監督の長州力と山本の関係も悪化し、翌96年4月に発行された『週プロ』内の山本のコラムで「地方で手を抜く新日本」なる一文があったことが引き金となり、新日本が『週プロ』を取材拒否。最終的には山本が編集長を降りることなった。こうして『週プロ』やBBM社にとっても『夢の懸け橋』は一種の“黒歴史”のようになり、自社で手がけたあれだけのビッグイベントにも関わらず振り返られる機会が少なく、半ば封印された状態になったのである。
ファンの夢は叶い大きな話題を呼んだが、その反動も大きかった『夢の懸け橋』。今年、11年ぶりに行われる“オールスター戦”である『ALL TOGETHER AGAIN』は、プロレス界がさらに盛り上がるきっかけとなることを祈るばかりだ。
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