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「一団体500万。新日本と全日本は2000万円」“歴史から抹殺された”プロレスオールスター戦を覚えているか? ターザン山本が語る「寝耳に水」の顛末

posted2023/04/26 11:00

 
「一団体500万。新日本と全日本は2000万円」“歴史から抹殺された”プロレスオールスター戦を覚えているか? ターザン山本が語る「寝耳に水」の顛末<Number Web> photograph by AFLO

1979年8月26日の『プロレス夢のオールスター戦』で復活したBI砲

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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 6月9日、両国国技館で新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアの3団体合同興行『ALL TOGETHER AGAIN 元気があれば何でもできる!』が開催されることが決定した。

 新日本、全日本、ノアによる『ALL TOGETHER AGAIN』は、東日本大震災復興支援チャリティーイベントとして、2011年8月27日の日本武道館、2012年2月19日の仙台サンプラザホールとこれまで2度開催。今回は「コロナ禍の混沌からのリスタート」「プロレスの力で元気を発信」とのコンセプトで11年ぶりに開催される運びとなった。

 第1回、第2回大会では、棚橋弘至&諏訪魔&潮崎豪の3団体エーストリオや、武藤敬司&小橋建太のドリームタッグが実現。第3回大会も、団体の垣根を越えたドリームカード実現が期待される。

大成功を収めた『プロレス夢のオールスター戦』

『ALL TOGETHER』以前のプロレスメジャー団体が一堂に顔を揃えるオールスター戦といえば、昭和からのファンは1979年8月26日に日本武道館で行われた『プロレス夢のオールスター戦』(東京スポーツ新聞社主催)を真っ先に思い出すことだろう。

 新日本、全日本、国際プロレスという当時の(男子)3団体すべてが出場した文字通りのオールスター戦で、メインイベントではジャイアント馬場とアントニオ猪木が、約8年ぶりに最強タッグチーム「BI砲」を再結成し、アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シンの最凶悪コンビと対戦。プロレスファンの夢が叶った伝説の大会だ。

『プロレス夢のオールスター戦』は日本武道館に当時の同所観客動員新記録となる1万6500人(超満員札止め=主催者発表)の大観衆を集め、興行的にも大成功。第2回大会や数年に一度の定期開催が期待されたが、その後、馬場、猪木両巨頭が存命の間は全日本と新日本の合同興行は一度も行われず、選手の交流も1990年2月10日、新日本の東京ドーム大会まで約11年間封印された。

 当時、新日本にはテレビ朝日、全日本には日本テレビが付いており、映像権利関係や対戦カード、通常の興行に及ぼす影響などさまざまなクリアすべき問題があり、合同興行開催はそれだけ難しいものだったのだ。

“歴史から抹殺された”オールスター戦を覚えているか?

 しかし、1979年の『プロレス夢のオールスター戦』から2011年の第1回『ALL TOGETHER』まで、オールスター戦と呼べる大会が一度も行われなかったかといえば、そうではない。じつは90年代に興行規模としては過去最大級で開催されながら、今ではプロレスの歴史から半ば抹消されている大会がある。それが1995年4月2日、『週刊プロレス(以下、週プロ)』を発行するベースボール・マガジン社(以下、BBM社)が主催し、東京ドームで行われた『夢の懸け橋~憧夢春爛漫』だ。

【次ページ】 『週プロ』主導の大会はいかに決まったのか?

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