情熱のセカンドキャリアBACK NUMBER
肩書きは「風゜呂(プロ)サッカー選手」プラチナ世代の元Jリーガー・高野光司(30歳)はなぜ”裸一貫”の覚悟で銭湯をPRするのか?
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byShigeki Yamamoto
posted2023/04/09 11:13
元JリーガーでU-17W杯にも出場した高野光司(30歳)さん。現在は「すえひろ湯」で働き「風゜呂サッカー選手」の肩書きをもつ
ケガへの恐怖「出力に対して自分の体が…」
「ケガで離れる前までは、怖がらずにやれていました。川勝(良一)監督からも“ボールを奪う範囲を2m、3mと広げてみろ。もっと行ききってみろ”とアドバイスをもらって、それを意識してはいたんです。もちろん頭では分かっていました。でもしっかり行ききろうとすると太腿の前がちぎれそうな感覚もあってどうしても体が出ていかない。出力に対して自分の体がマッチしていないと感じました」
ここで無理をしたらまたケガをするかもしれない。「意識」より「無意識」がどうしても勝ってしまう。出場のチャンスは離れていくばかりであった。同期の小林祐希は1年目から主力として活躍し、ひと足先にトップチームと契約していた高木善朗はシーズン途中、ユトレヒトに移籍。一方の高野は一度もベンチ入りすることができなかった。
「プロになって体をつくり直すところでケガをしてしまって、どこかバランスが崩れたところはありました。特にスピードが落ちたなって」
プロ2年目になるとギラヴァンツ北九州にレンタル移籍。サイドバックで起用され、3月17日のアウェー、松本山雅戦で待望のJリーグデビューを果たす。
しかしその後はベンチから外れるようになり、今度は練習中に頬骨を骨折するアクシデントに見舞われてしまう。手術を施して1週間の入院を強いられた。
またケガかよ――。心のボヤキが思わず口を突いた。
ベンチが一層遠のいたと感じていた矢先、チームに合流するや否やチャンスが訪れる。所属元のヴェルディとのホームゲームに三浦泰年監督から「行けるか?」と打診され、「大丈夫です」と応じた。本調子ではなかったものの、この機会を絶対に逃がしたくはなかった。
だがヴェルディに対して意地を見せるどころか、その逆だった。
「フェイスガードをして試合に出たんですけど、ヘディングでズレてしまって目の前が見えなくなったり、チームに戻って全体練習も2日くらいしかやれていなかったためか前半途中で動きが落ちてしまったり……。結局は5点奪われての大敗でした。でも振り返ってみると、自分が育ってきたクラブとあのように試合ができた経験は本当に良かったと思っています」
スクールコーチを務めながらプレーも
この試合がギラヴァンツでのラストゲームとなる。翌年はゼルビアに渡り、そのシーズンをもってヴェルディとの契約も満了となった。
サッカーだけで生活できるクラブが見つからず、JFLへの入会が決まったアスルクラロ沼津ではスクールコーチを務めながらプレーすることになる。オフらしいオフはなく、子どもたちの送迎や一般のフットサル大会で審判として借り出されることもあった。ただ、これまでとは違う感情がこみ上げるようになっていた。
「ユースのころは働きながらサッカーをやるなんて考えられなかった。でもそう思っていた自分が恥ずかしくなったというか、そう考えていた自分が嫌だな、と。働きながらサッカーをやることも悪くないと思いました。
子どもたちを教えるというよりも一緒にサッカーをやっていた感じです。楽しかったし、毎日が充実していました。ただ試合に出ることができていましたから、同時にもう一度プロとして勝負したいなという気持ちも膨らんできました」