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「筑波大では浦島太郎状態だった」20歳で退部“後ろめたい思い“があった母校になぜ戻った? 37歳平山相太が指導者として今、目指すもの
posted2023/03/07 11:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Naoki Morita/AFLO SPORT
「いやいや、僕は監督ではないですよ。小井土(正亮)監督から練習などの指揮は任せてもらっていますが、さすがにまだそれはないです」
あの平山相太が筑波大学の監督に就任した――そんな報道に対して、齢を重ねた元怪物ストライカーは苦笑いを浮かべながらキッパリと否定した。
“監督”という肩書ではないが、平山は現在、大学院生として古巣・筑波大に通いながら「学生コーチ」として指導に当たっている。
三笘薫や谷口彰悟など多くの日本代表選手やJリーガーを輩出した名門大学で、役職は小井土監督に次ぐ実質ナンバー2。筑波大蹴球部のヘッドコーチとして、練習の組み立てから試合までのコーディネーションを含め、チームにおいて重要な役割を託されている。
もともとは進学校志望だった?
平山の名は、時代を共にしたサッカーファンなら誰でも知るところだろう。
名門・国見高校時代は1年からエースストライカーとして君臨し、高2・3と選手権史上初の2大会連続得点王に輝いた。大会通算17ゴールはいまだに破られておらず、190cmの長身を生かしたゴール奪取力は誰もが日本の未来を託す存在だった。
当然、J1クラブからは多数のオファーが届いた。しかし、平山が選択したのは筑波大への進学だった。
センセーショナルな活躍を見せていた高校生だけに、その選択を周囲は驚きをもって伝えたが、平山にとってはごく自然の選択だった。もともと中学時代は、常に学年のトップ10以内に入るほどの秀才。高校進学時にも当初はサッカーの強豪高校ではなく、地元の有名進学校に進むつもりだったが、小嶺忠敏監督(当時)の熱心な誘いを受けて国見に進んだ経緯がある。「学びたい意欲もあったし、将来のことを考えて」とサッカーとの両立を志して、筑波大の門を叩いたのだった。
だが、筑波大での時間は平山が思い描いていた大学生活とは異なるものだった。