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蝶野正洋が語ったバラバラの”闘魂三銃士”「まだ俺が武藤選手を許せない気持ちが…」「橋本真也が見たいんだ。三銃士で集まろう」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2023/03/06 17:01
闘魂三銃士のトークイベントで再会した(左から)武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋(2003年撮影)
武藤と蝶野の間だけでなく、武藤と橋本の間にも、全日本とZEROーONEの対抗戦を境にこのころは微妙な空気があった。トークショーでは笑って昔話に花を咲かせても、舞台裏では3人とも口数は少なかった。
それでも再会を機に、2004年のデビュー20周年に合わせて「三銃士興行」の企画が持ち上がった。関係者に呼ばれて再び顔を合わせても、依然として硬さはとれない。
「まだ俺が武藤選手を許せない、みたいな気持ちが残っていて……まあ、3人とも何かケチがついている状態というかな。『新日本はどうなの?』って聞かれても、彼らにどこまで内情を話していいかっていうのもあったし。本心は絡みたいけど絡めない、そんな状況だった」
関係者の説得もあり、開催する方向で話は進められた。しかし、団体の長である武藤と橋本は個人でGOサインを出すことが出きても、蝶野には新日本の承諾が必要だった。結局、主催者が相談もなくイベントを進めたことに反発した新日本の許可が出ず、幻に終わってしまった。
このころ、蝶野と橋本の関係は比較的良好だった。11月に両国国技館で行なわれた蝶野のデビュー20周年興行に橋本が花束を持って来場すると、お返しにZEROーONEの興行に蝶野が乱入した。
だが、その乱入からわずか12日後、橋本は突如、団体の活動停止を発表した。1億円ともいわれる負債を抱えてしまったためで、ZEROーONEは新たな運営会社のもとで再建を図ることになった。
橋本の上がるリングがなくなった。どの団体でもいい、蝶野は橋本をできるだけ早くリングに立たせたかった。
「橋本真也が見たいんだ。三銃士で集まろう」
翌年5月の新日本東京ドーム大会に、蝶野は橋本を呼んだ。橋本に復帰を決断させる絶好のチャンスだと思ったからだ。
「いいか、ファンはリングのなかにいる橋本真也が見たいんだ。武藤選手も来る。三銃士で集まろう」
来ると信じていたが、試合当日の午後2時になって橋本から電話が入った。
「すまない。やっぱり俺、行けない」
蝶野は何も言えなかった。
<#3に続く>
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