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蝶野正洋が語ったバラバラの”闘魂三銃士”「まだ俺が武藤選手を許せない気持ちが…」「橋本真也が見たいんだ。三銃士で集まろう」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byAFLO
posted2023/03/06 17:01
闘魂三銃士のトークイベントで再会した(左から)武藤敬司、橋本真也、蝶野正洋(2003年撮影)
「いいですよ、シングルでやりましょう」
その判断は、会社ではなくあくまで三沢個人によるものだと、蝶野には感じられた。
果たして、蝶野対三沢のカードが発表されると、チケットは飛ぶように売れた。5万7000人の大観衆の前で行なわれた三沢との試合は、30分フルタイムドローで終わった。三沢の渾身のエルボーを古傷の首に浴び続けた蝶野には、痛み以上の充足感があった。
蝶野正洋は不思議な男である。
新日本とは出場試合を限定する独自の契約を結んで「付かず離れず」の姿勢を取りながら、いざとなれば率先して興行を成功させるように人を動かし、自分も身体を張る。一匹狼としてふるまいながら、集団に入ると求心力を発揮する。
総合格闘技との融合を進める新日本において、純プロレスのカードで大会のメーンを飾り、興行を成功させたことは、猪木の専横に対する強烈なカウンターとなった。
大会後、蝶野は新日本の取締役に就任した。肩書きを受け入れたのは、プロレスと総合格闘技の共存路線を維持するためであった。長州力も新日本を離れたため、ますます「蝶野体制」と呼んで違和感のない状況になった。
自ずと出場数が増え、椎間板ヘルニアを抱える首に痛みを覚えるようになった。口ひげも白髪になってしまった。出て行った武藤に対する意地だけが、蝶野を動かす原動力だったのだ。
バラバラの「闘魂三銃士」の関係に変化が…
武藤の退団から1年半が過ぎたころから、バラバラになっていた三銃士の関係に変化が生まれ始めていた。「三銃士トークショー」などのイベントに3人が集まる機会が出てきたのだ。蝶野は「1年経ったら時効にしよう」と心に決めていたが、やっぱり顔を合わせると、武藤へのわだかまりを捨てられていないことに気づいた。