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蝶野正洋が明かしていた”闘魂三銃士”武藤敬司との決別「頭にきたんだ!」武藤なき新日本プロレスのリングでアントニオ猪木に放った一言
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byToshiya Kondo
posted2023/03/06 17:00
武藤敬司の「デビュー25周年興行」に出場した蝶野正洋(2009年撮影)
「残ろうとは思っていたけど、迷っていなかったといえば嘘になる。だから蝶野さんに電話して……。そうしたら『条件のいいところでやれ』ですからね(笑)、驚きました。だけど、蝶野さんに電話してよかった。新日本を出るべきじゃないって決断することができたので」
武藤が退団ーー新日本を揺るがすクーデター
この電話の約1週間後、武藤は新日本との契約を更新せず、1月限りで退団することが発表された。小島聡、ケンドー・カシン、さらには経理担当、事業担当など社員を含めて8人の離脱が明らかになった。
それは、三銃士が3人とも別々の団体になる……というだけでは済まない新日本を揺るがすクーデターだった。
エースである武藤が新日本離脱の決断をしたのは、故ないことではない。当時は、総合格闘技が一大ブームとなっていた。新日本のオーナーであるアントニオ猪木自身がその象徴と見られ、プロレスとの融合を推進していた時期である。純粋にプロレスを極めようとする武藤の考え方とは、明らかにズレがあったのだ。しかし、武藤の離脱を蝶野は苦々しく感じていたという。
「確かに猪木さんが戻ってきて、総合格闘技だなんだって振り回されていた。でも俺は現場至上主義だし、総合格闘技が面白いのかプロレスが面白いのか、リング上で猪木さんとやりあえばいいと思っていた。そうやってぶつかるのが新日本だと思っていたし。総合格闘技の勢いが増しているときに、身内で分散なんかしている場合じゃなかったんだよ。武藤選手がそれを分かっていないとは思っていなかったから、頭にきたんだ」
そう言っておいて、蝶野はこう付け加える。
「俺の推測だけど、武藤選手は出世で俺に勝てないと思って新日本を離れたんじゃないかな。俺は会社のなかの出世なんて興味ないし、長男を支えるつもりだったんだけどね……」
皮肉にも新日本に残ったのは、会社を辛辣に批判し続け、オーナーの猪木とも一定の距離を置いてきた蝶野だけになった。
蝶野が猪木に告げた一言
新日本は混乱に陥ったまま、2月1日の札幌大会を迎えた。レスラーをまとめる現場責任者の長州力ですら猪木を敬遠していたため、猪木に進言できるのはもはや蝶野しかいない、と誰もが思っていた。
蝶野もその雰囲気は感じていた。試合会場の「きたえーる」に猪木が到着すると、上層部だけでなく、何の肩書きも持たない蝶野にも招集がかかった。ノックして部屋に入ると不思議そうな猪木がいる。
「あなたが原因なんですよ」という言葉をのみこんで、蝶野は椅子に腰を下ろした。幹部からの報告がひとしきりあったあとで、猪木に一言告げた。