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「目の前で友達が殺されたんだ」クロアチアを背負って戦ったミルコ・クロコップが泣いた日…K-1デビューから撮り続けたカメラマンの証言
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph bySusumu Nagao
posted2023/03/05 12:22
2006年9月10日、PRIDE無差別級グランプリ決勝でジョシュ・バーネットに強烈なミドルキックを突き刺すミルコ・クロコップ
試合後、ミルコはこう言った。「僕だって人間だから涙を流すよ」と。
ここに1枚の写真がある。私が撮影したミルコの写真の中で、いちばん好きな写真だ。1996年に日本デビューして10年。ようやくベルトを巻くことができたミルコが、はるか遠くを見つめている。見つめた先は母国のクロアチアなのだろうか。勝利の後には、赤と白のクロアチア国旗をいつも背負っている。試合のスパッツも、ある時からクロアチアをイメージさせるものに変えた。そう、ミルコは国を背負って戦っていたのだ。
以前、ミルコの取材で撮影をしたときに彼が口にした言葉をよく覚えている。
「おまえは信じられないだろう。目の前で友達が殺されたんだ」
「そんな残酷な世界がどこにある。それが戦争というものだ」とミルコは言いたかったのだろう。ウクライナとロシアの戦争が長引く現在、あらためてその言葉の意味を噛み締めている。
UFCの会場に響いた「PRIDEのテーマ曲」
2006年の年末にミルコはPRIDEを離れ、世界最大のMMA団体であるUFCへの移籍を表明した。翌2007年2月にはUFCデビュー戦を行い、1ラウンドTKOで勝利。このときのミルコの入場曲は『The Wild Boys』ではなく、PRIDEのテーマ曲だった。PRIDEの代表としてUFCで活躍する、という彼の強い意志がにじみ出ていた。
ミルコの次戦は4月のマンチェスター大会に決まり、この試合の勝者はUFCのタイトル挑戦が約束されていた。ミルコにとっては重要な試合だ。私も同地へ撮影に行くことを決めた。大会のメインイベントとしてミルコが赤コーナーで入場。曲も慣れ親しんだ『The Wild Boys』に戻していた。試合が始まり、ケージサイドでハイキックの瞬間を狙うが、ミルコが攻め込む場面はほとんどなかった。むしろグラウンドでダメージを受け、劣勢一方の展開だ。
なんとかスタンドに戻りハイキックの間合いとタイミングがきたと思ったら、ハイキックを出したのは相手のガブリエル・ゴンザーガの方だった。強烈な一撃が側頭部を直撃し、ミルコは衝撃的なKO負けを喫した。
その後、ミルコは9月の『UFC 75』に出場したがシーク・コンゴに判定負け。詳しい契約内容は不明だが一端UFCを離れ、2008年は日本で試合を再開する。2009年にはUFCへカムバックしたものの手術や怪我の影響もあり、思うような結果は出せなかった。2011年10月の試合でUFCとの契約を終えたミルコは、キックボクシングへの復帰を表明。2012年には9年ぶりにK-1で試合を行ない、10月には日本でもその雄姿を見せたが、全盛期のミルコを知る者にとっては、寂しい内容だった。