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“肺の半分”を摘出したのに…42歳で肺がんを経験した元女子レスラー・ダイナマイト関西が“再びリングに戻るまで”「先生からは反対も…」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/03/14 11:02
元女子プロレスラーのダイナマイト関西さんは2011年、42歳の時に肺がんが発覚。大手術と過酷なリハビリを経て、リング復帰した
周囲に言わなかったのは「同情されるのが嫌やから」
――今回もやはり、選手や関係者に黙っていたんですか。
関西 知ってたのは尾崎だけかな。「ほかの選手には絶対に言うなよ」って釘を刺しといた。
――長期離脱していたらバレません?
関西 「膝の手術してるって言うといてくれ」と。膝はほんまに悪かったから。それで1年ぐらいは乗りきろうと。
――なぜそこまで隠そうとしたんでしょう。
関西 心配されたくなかったから。心配されて、同情されるのが嫌やから。不憫な目で、哀れな目で見られたくないやん。たとえば、ドロップキックにしてもナックルにしても、「これをやって関西さんの肺が破れたらどうしよう」って、そんな考えで来られたら困るし。
ダイナマイト関西が引退を決めた日
――引退は、そのおよそ3年後(16年12月11日、後楽園ホール)。理由は?
関西 長い試合をこなすのがむずかしくなってきてて、若い選手を相手にしたとき、自分は体力が続くんだろうかと。「体力の限界」を考えるようになった。もう全部をやりつくして、やり残したことがなかったっていうのもあったね。肺がんになって復帰してからは、もう自分のプロレスを楽しもうと思ってたから、目標を立てるとか、ベルトがどうとかいわれるのも嫌やっていう気持ちが高まって。ハングリー精神がなくなってしまったら、若い子に失礼やん。だから、退くときかなぁと。
――決断したとき、尾崎選手の反応は。
関西 何度も話しあったよ。引退を決めてからの2年ほどは、ずーっと。「おまえはOZアカデミーがあるから、絶対に辞めたらあかん。残れよ」(関西)、「今年はやめて。あと1年はがんばってよ」(尾崎)と、ずっと押し問答。(16年には)「今年で(デビューして)30年やで。キリがええんちゃうか? 正直、もう体力の限界やで」って言うたら、「いいよ、智江ちゃん(関西の愛称)。私のわがままを聞いてくれて、ずっと引退を延ばしてくれて、今までありがとう」って、やっと首を縦に振りよった。
「ありがとう、プロレス。ありがとう、みんなだよ」
――素敵な対話ですね。さて、現在の活動を教えてください。
関西 OZアカデミーのリングアナウンサーもしてるけど、本職としては不動産会社で賃貸ビルの管理業務などをやってる。プロレスを辞めるときにスカウトしていただいてね、まったく畑違いの仕事で、まだ勉強している段階なんで、自分の無知さがはがゆいときもあるけど。プロレスのときは「俺に付いてこい!」ってグングン引っ張ってたけど、今はまだ引っ張られてるほうやね。プロレス時代の仲間や後輩とはつながってるから、お互いがお互いを刺激しあえてるかなぁって思ってる。
――野暮な質問かもしれませんが、プロレスに未練はないですか。
関西 いっさいない!(即答)。ありがとう、プロレス。ありがとう、みんなだよ。
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