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“肺の半分”を摘出したのに…42歳で肺がんを経験した元女子レスラー・ダイナマイト関西が“再びリングに戻るまで”「先生からは反対も…」
text by
伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph byKiichi Matsumoto
posted2023/03/14 11:02
元女子プロレスラーのダイナマイト関西さんは2011年、42歳の時に肺がんが発覚。大手術と過酷なリハビリを経て、リング復帰した
左肺の半分を摘出…それでもプロレスはあきらめなかった
――前面ではなく背面なんですか。
関西 そうやねん。肺って背中を切るのね、肩甲骨のちょっと下あたり。手術日には家族も集められて、尾崎もおって。けっこうな手術やったらしい。6~7時間ぐらいの。
――えっ、大手術じゃないですか!
関西 手術室に入る前には、ちょっと切って、開けて、腫瘍を取って、細胞をつなげてぐらいに聞いてたから、そんなに長時間に及ぶなんて……。手術中になんかあったんちゃうか、膠原病が悪化して呼吸困難になったんちゃうかって、周りはめっちゃ騒いでたらしい。聞けば、自分が「プロレスができるように(腫瘍を)取ってや」って言うてたもんやから、実際に開けて、ガバッと左肺を半分も取ったと。普通なら腫瘍箇所だけを取ればいいものを、この先の転移のこと、自分がプロレスをやり続けると言い張ってること、42歳でまだ若いことなどを考えて、先生が手術中に判断したらしい。で、大きい傷になったと。
――そのすべてを聞いたとき、どう思いましたか。
関西 やっぱり、悪性だったんだって。摘出してもらって正解やったなって。またプロレスができるという安心感はまだ持てなかったけど、全部を取り除いてもらって、結果は良かったんやなって。
――医師の立場では、プロレスにGOサインを出せないと思うんですが。
関西 「プロレスは絶対にできないよ。呼吸が苦しいよ。無理だよ、無理!」ってずーっと言われてたよ。手術後も、そのあとの通院のときも。でも、「いや、大丈夫。もうトレーニングはじめてるから」って言うたら、先生はびっくりしてた。「鈴木さん、そんな話、聞いたことないよ。肺を半分も取って、激しいスポーツする人。ましてや、殴ったり、蹴ったり、叩きつけられたりするんでしょ? そんなの絶対に無理だよ!」って。
トレーニングも「最初は怖かった」
――トレーニングを重ねながらも、怖くはなかったですか。
関西 最初は怖かった。まずは呼吸ね。試合をしても息が続かないんじゃないかっていう心配をされてたから、手術が終わってからは、呼吸の練習をずっとしてた。そこから歩いて、少しずつ激しい練習に変えていって、「あっ、これなら復帰できるかも!」と。
――復帰戦(13年1月13日、東京・新宿FACE大会)が決まったとき、主治医はなんと言いましたか。
関西 「無理ですよー。無理、無理!」(笑)。トレーニングのこととか全部言うても、「無理だよ。考えられないよ」。
――自分の体をいちばん知っている主治医からそこまで“無理推し”されると、さすがに不安になりそうですが。
関西 なれへんかったな。不安がってもしゃあないやん。「やる!」って決めたら、絶対やるから。不安になる労力が無駄。やるって決めたんだから、やるしかないのよ。