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マイケル・ジョーダン60歳に…悲惨な殺人事件が起こる直前、父ジェームズが明かしたジョーダン誕生の夜「あの日のことは何があっても忘れない」
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph byReuters/AFLO
posted2023/02/18 11:04
2月17日に60歳となったマイケル・ジョーダン。父ジェームズ(右)を襲った悲劇からもう30年が経過しようとしている(写真は1992年)
ジェームズによると、60年前の1963年2月17日、ジョーダン家が住んでいたあたりは大雪だったという。
「あの日のことは何があっても忘れることができません」とジェームズは振り返ってくれた。
「マイケルが生まれる前の日、妻は腹痛を感じていました。外では雪が降り始めていて、その前からの雪もあって、地面にはかなりの雪が積もっていました。その夜遅く、夜中の12時か1時頃、窓から外の雪を見ていたのを覚えていますが、道の反対側の建物すら見えないほどでした」
ジェームズはニューヨークよりずっと温暖なノースカロライナで育った。積もるほどの雪が降ることは滅多になかったのだが、その夜のニューヨークでは60cmもの雪が積もったと言う。
「せめてあと1日は(生まれずに)もってほしい」
夜中に目を覚ました1歳の息子、ラリー(ジョーダンの兄)をあやしながら、ジェームズはそう願っていたという。よく整備された車はニューヨークの冬でも問題なく動いていたが、雪となればまた別だ。
「あの雪の中で車が動くか自信がなかったのです。ニューヨークの道もよく知らなかったから、『病院に行かなくてはいけなくなったらどうしようか』とずっと考えていました」
「何もかも、絶妙なタイミングでした」
そんな中で妻が破水。ジョーダンはジェームズと妻のデロリスにとって4番目の子どもなのだが、その前の3人は故郷で、自分たちの親も近くにいる中で生まれている。初めて、自分たちだけで出産を迎えることになり、しかも大雪の中で破水し、ジェームズはパニックになったという。結局、救急車を呼び、妻が救急車に乗り、ジェームズは自分の車を運転して、救急車の後ろをついて病院に行った。そして、病院に到着するとほぼ同時に、ジョーダンが誕生した。
「何もかも、絶妙なタイミングでした」とジェームズは感慨深そうに語っていた。