日々是バスケBACK NUMBER
マイケル・ジョーダン60歳に…悲惨な殺人事件が起こる直前、父ジェームズが明かしたジョーダン誕生の夜「あの日のことは何があっても忘れない」
posted2023/02/18 11:04
text by
宮地陽子Yoko Miyaji
photograph by
Reuters/AFLO
マイケル・ジョーダンが60歳の誕生日を迎えた。
シカゴ・ブルズで6回NBA優勝し、リーグMVPに5回、NBAファイナルMVPに6回選ばれ、未だに歴代トップのスーパースターと評されるジョーダンは、今ではシャーロット・ホーネッツのオーナーになり、NBAをビジネス面から牽引し、次世代の選手たちを見守っている。
それにしても、現役時代に空中を舞うように跳んでいた、あのジョーダンが60歳というだけでも時の流れを感じるのだが、ふと、ジョーダンの父ジェームズ・ジョーダンが亡くなったのは何歳のときだっただろうかと調べてみたら、56歳だった。そう、いつの間にかジョーダンは生前の父の年齢を超え、父が到達できなかった60代に足を踏み入れたのだ。
3連覇達成の直後…最愛の父と突然の別れ
ジェームズはジョーダンが1993年6月に最初の3連覇を成し遂げた約1カ月後に、強盗殺人で命を落とした。もう、30年近く前のことだ。知人の葬式に出席後、翌朝のシカゴ行の飛行機に間に合うようにシャーロットに向けて夜遅くに車で移動していた途中で、疲れて路肩に車を停めて寝ていたところを殺害された。
父を失った後にジョーダンは「今、そこにいる人が、いつなくなってしまうかわからないということに気づいた」と言っている。それだけ、いつも当たり前のように近くにいたのが、父、ジェームズだった。
高校時代はもちろん、大学時代もできる限り多くの試合にかけつけていた。NBAに入ってからも、ジョーダンの近くにはいつもジェームズがいた。人気が出てなかなか街に出ることができなくなったジョーダンにとっては一番の話し相手であり、悩みを打ち明ける相談相手であり、自分のプレーについて誰よりも本音で、見たままを語ってくれる人だった。
稀にだが、息子が言いたくても言えないことを、親として代弁していたこともあった。といっても、決して目立ちたがり屋のステージパパではなく、まわりの邪魔をすることもなかった。いつもお気に入りのハンチング帽をかぶり、陽気な笑顔を振りまいていた。初めて会った人でも、まるで昔からの知り合いのような気持ちにさせる人だった。