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「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」 

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齋藤裕

齋藤裕Yu Saito

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photograph byShigeru Tanaka

posted2023/02/18 11:03

「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」<Number Web> photograph by Shigeru Tanaka

力士を引退後は九重親方として千代大海などを指導、日本相撲協会の要職を歴任した。親方として地元に戻った時に姉に語っていたのは…

 どうだったろう。あまりなかったけど、「俺やっぱり飛行機だったのかなー?」って、ポツリと言ったことありました。今は飛行機だと誰でも乗れる時代でしょ。でもわたしたちが子供の頃は飛行機なんてもうとんでもない夢の乗り物だった時代でしたからね。

 いまさら何言ってんのみたいに思ったけど、でも結局自分で弟子を指導する立場になって、自分の人生を振り返って出てきた言葉だったのかな。

新幹線で帰るのが夢だったんです

――九重親方は2015年まで夏合宿で地元に来ていましたが、2016年の夏合宿の直前、7月31日に亡くなりました(享年61、死因は膵臓がん)。

 その1年前にがんが見つかってもいましたし、心配はしていました。7月の名古屋場所で体調を崩し、そのまま病院に入院。入院している時に電話していると、声色から調子はなんとなく良くないのかなと思ったけど、それでも8月に(夏合宿で)行くからねという言葉があって、新幹線で来るんだと待ち望んでいました。

 ちょうど亡くなった2016年の3月に北海道新幹線(新青森駅~新函館北斗駅間)が開業したんですよね。木古内という駅があって、(合宿地の)福島からも近い。それまでの夏合宿でやってきたときや、還暦土俵のタイミングで電話したときも「次は新しくできた新幹線で帰るからね」って、新幹線で帰るのが夢だったんです。工事も長引いてましたから、本当に楽しみにしていたんです。

「飛行機に乗りたい」と東京へ向かった15歳の少年。45年後、還暦の親方が夢見た「新幹線」に乗ることは叶わず、不帰の客となった。

<「若き日のウルフ」編もあわせてお読みください>

#1から読む
“鋼の肉体”千代の富士の姉が明かす“若きウルフの苦悩”「再会してお互い無言で泣き合って…」「毛布から出てこれなかった初の大ケガ」

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。

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