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大相撲PRESSBACK NUMBER
「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byShigeru Tanaka
posted2023/02/18 11:03
力士を引退後は九重親方として千代大海などを指導、日本相撲協会の要職を歴任した。親方として地元に戻った時に姉に語っていたのは…
前の日に「明日発表するから」と実家に連絡がありましたね。1年くらい前からもういつ辞めてもいい、みたいな話だったから、ああとうとう来たなみたいな。傍から見ていると、横綱になって長く務まること自体が不思議だったんですよね。結果的に31回も優勝して、体力の限界というのも本当そうだと思いますね。よく頑張りましたよね。
――横綱・千代の富士が引退して、親方となり、その後どこか遠い存在だった弟さんが部屋を率いて地元で合宿をするようになり、近くにいる機会も増えました。
横綱千代の山・千代の富士記念館が平成9年(1997年)にできてから毎年8月に1~2週間ほどの夏合宿はこっち来てやっていたんです。地域のイカ祭りとかに部屋の若い子たちを連れて行ったりしてね。力士を連れて素潜りしたりして、ウニだったら力士たちもわかるんだけど、あわびがあって「これだよ、とりなさい」っていってもわからないそうで、準備させてとらせるって話をしていましたね。
おじさんにゲーム貸してくれない?
――弟子たちの指導については何か話していましたか?
「今はムチ、ムチじゃだめなんだ。アメとムチじゃなくてアメ、アメ、ムチ……って感じで時代が違うね。俺たちの時みたいな稽古つけられたらお相撲さん誰もいなくなっちゃうよ」みたいなことはちらっと言ってましたよね。
――引退してからの変化は?
小さい頃はくるくるっとした目でしたけど、相撲の、勝負の世界に入ってからはやっぱりあのキリッとした勝負師の顔になりましたよね。でも引退して数年たったら本当に柔らかい表情になっていたんですよ。
――趣味は意外にもゲームだったとか?
ゲームボーイとかを車に積んでたりしてね。うちの子どもが「これなに?」って興味を持ったら、親方がスーパーファミコンか何かゲーム機を買ってきてくれたんですよ。また翌年、こっちに来た時に「おじさんにゲーム貸してくれない?」って「テトリス」だとかのゲームを借りていくんですよ。実家の母親いわく、それを一晩中やってたみたいで、負けず嫌いなんですよ。絶対。あとはゴルフなんかを近くの打ちっぱなしに行くこともありましたよ。
俺やっぱり飛行機だったのかなー?
――引退後、実家で現役時代を振り返ることはあったりしましたか?