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“鋼の肉体”千代の富士の姉が明かす“若きウルフの苦悩”「再会してお互い無言で泣き合って…」「毛布から出てこれなかった初の大ケガ」

posted2023/02/18 11:02

 
“鋼の肉体”千代の富士の姉が明かす“若きウルフの苦悩”「再会してお互い無言で泣き合って…」「毛布から出てこれなかった初の大ケガ」<Number Web> photograph by AFLO

昨年4月に話題となった千代の富士の「鋼の肉体」。現役当時を知らない世代も写真や映像などからファンとなるケースが続出している

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齋藤裕

齋藤裕Yu Saito

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「まさか相撲界に行くとは思っていなかったんです」

 遠くを見つめながらそう振り返るのは、優勝31回、通算1045勝を挙げ、2016年7月に亡くなった千代の富士の姉、小笠原佐登子さんだ。

 昨年春には「カッコイイと思って思わず保存したけど、なんて言う名前の力士なんですかね?」と現役時代の「鋼の肉体」写真が投稿され、SNS上で話題になった“ウルフ”。令和の世となっても新たにファンを獲得する“小さな大横綱”が「姉にならわたしはなんでも話すことが出来た」と自著で記した存在が2歳年上の実姉・佐登子さんだ。生まれ故郷・北海道松前郡福島町に暮らす姉が往時を振り返りながら鋼の肉体に秘められた内面の一端を教えてくれた。(全2回のうち#1/続きは#2へ)

手芸的なこともなんでもやれる

――漁師のお父さんの家庭に生まれて、そこで足腰を鍛えたと書籍などでは書かれていますが、実際は?

 大きな船から小さい船にイカをおろす作業とかを手伝っていたんですよ。大きな網の袋に入れて、それを小さな船に落としていく。休みの時にやっていて、船の上で作業する時のバランス感覚もよかったみたいで、中学に入ったらそういう助手的なことを立派にしていました。

――そこで鍛えられた?

 いや、考えてみたら持って生まれた運動神経があったんじゃないですかね。こう言ったらちょっとあれだけどもね、親のいいところ100%あの人が持っていった。あっちは走れる。こっちは走れない。あっちは飛べる、こっちは飛べない。本当に何だろう。何やらしても、もう手先も器用だしねえ。引退後やケガをしている時になりますけど、七宝焼きや組紐とか手芸的なこともなんでもやれるんです。

小さい頃は喧嘩もしたけど仲良かったね

――中学時代、走り高跳びや三段跳びで記録が残っているそう(過去記事によるとそれぞれ走り高跳び1m62、三段跳びは12m58)ですが、バスケ部だったんですよね?

【次ページ】 うちで手術した子、アイツすごいよ

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