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大相撲PRESSBACK NUMBER
「次は北海道新幹線で帰る」は叶わなかった…千代の富士の姉が語る“晩年のウルフ”「引退後は本当に柔らかい表情になっていた」「ある日、ポツリと…」
text by
齋藤裕Yu Saito
photograph byShigeru Tanaka
posted2023/02/18 11:03
力士を引退後は九重親方として千代大海などを指導、日本相撲協会の要職を歴任した。親方として地元に戻った時に姉に語っていたのは…
もともとはこの田舎でも「五体満足では帰ってこれないんじゃないか」と心配する声が聞こえてきましたね。でも小結に上がったくらいになると、その日勝つと花火があがったりして、「ああ、今日千代の富士勝ったんだ」ってみんなわかる感じでね、地域あげて応援してくれていたと思います。初優勝の時は親戚20人くらい集まって、みんなで万歳って言ったの覚えてますけどもね。
どんどん遠くなっていった弟の存在
――報道もたくさんされるようになりました。
いい記事だったら、気分があがるだろうけど、やっぱりだんだん名前が売れていくと、いいことばっかりでもない。悪いことだってあるじゃないですか。それはもう本人じゃないとわからないですよ。数えたことはないけど、記者さんは何十か来ていたのかな。青函トンネル関連の仕事をしていた私の職場に来たこともあったりして。ウルフフィーバーってのは本当にすごくて、実家に来た人を対応して終わったら電話かかってくるしで、最終的には電話番号を変えました。
――初優勝を果たした1981年に千代の富士関は一気に横綱となりました。その時のやりとりは?
なんかお祝い事があるから親連れてきてくれみたいな感じで。そういう感じで行ったりきたりはしましたけど。もうそうなったら「テレビに出てくる人」って感じ? 変ないい方だけど、どんどんこう遠くなっていく感じ。でも帰ってきて会うと何分もしないうちにやっぱり身内なんですよね。目つきが鋭い印象ありますけど、話してみると意外と三枚目で、冗談も言うんですよ。横綱になった時、北の富士さんのところへ挨拶に行って、「(北の富士さんは)なんて言ったと思う?」って。わからないって言うと、「やめる時はパッとな」って言われたっていうんですよ。「は?」っていう気持ちだったと。横綱になったばかりなのに。そんな笑い話をまじめな顔して言うもんだから、そのギャップがまた面白かったんですよ。
まだ吸ってんの? やめなさい
――巡業で実家に戻ってきた時にそんな話もしていたんですね。実家滞在時はどのようなことをしていたんでしょうか?