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退場歴ゼロも私生活で大乱闘「助けに入った仰木(彬)さんの浴衣の帯が…」結婚式場で何が? それでも栗橋茂が“近鉄の初優勝”に必要だったワケ
text by
岡野誠Makoto Okano
photograph byBUNGEISHUNJU
posted2023/02/13 11:01
近鉄を球団創設初Vに導いた西本幸雄監督(写真は阪急監督時代)。優勝後、あの「江夏の21球」が生まれることになる日本シリーズへ
「近くに橿原神宮があるから、大広間で結婚式をやっていたの。何人もの選手が裸にバスタオル巻いて、式場をのぞきに行ってたみたい。俺は遅かったわけ。浴衣を着て部屋から出たら、ちょうど着物の女の人がいた。場所がわからないから、『すいません、お風呂どこでしょうか』と聞いた。そしたら、ソファーに座っていた3、4人が『貴様、人の女房つかまえて“一緒に風呂入りません?”ってどういうことだ!』って怒り出した。向こうは完全に酔っ払ってた」
カチンときたヘラクレスが「なんや、おまえ。俺は近鉄の栗橋じゃーい!」と向かっていくと、「なにぃ、上等だコラァ!」と大喧嘩になった。1人の栗橋に対し、相手は他の参列者も加わって10人以上に膨れ上がった。怒声が飛び交う騒ぎに気付いた仰木彬コーチが浴衣姿で止めにきた。
「『クリ、やめとけ!』って助けに入ってくれた。でも、仰木さんはパンツを穿いていなかった。パッと見たら、浴衣の帯が取れて、股間が丸見えだったよ。後日、球団に連絡がきて、謝罪の手紙とサイン色紙を送った。なんか、ワケわかんねえ出来事だったな」
助っ人離脱に燃えた…「俺は俺で打ってるし」
2つの大乱闘は、栗橋の性格を端的に表していた。自分への危害は気に留めないが、他人のピンチには真っ先に立ち向かう。理不尽な場面に遭遇すれば、空気を読まずに独りで徹底的に戦う。この気質は野球選手として、1979年のペナントレースで大いに生きた。
この年、近鉄には“赤鬼”ことチャーリー・マニエルがヤクルトから移籍してきた。守備を不安視されて広岡達朗監督に放出されたマニエルは、開幕から48試合で24本塁打と驚異的なペースでホームランを量産する。釣られるように近鉄打線も爆発し、首位を独走。しかし、頼みの助っ人は6月9日のロッテ戦で八木沢荘六から顔面に死球を受け、戦線を離脱した。
「当たった瞬間、血が吹き出て白いスパイクが真っ赤に染まったからね。顔を押さえて立ち上がったけど、途中でガクッと倒れた。普段は明るい性格で、『広岡ワガママ。ミーモワガママ。ダケド、広岡モットワガママネ』とか言ってた」