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「中学で英検準2級、藤浪すごいな」大阪桐蔭・西谷監督も期待する“秀才”藤浪晋太郎のメジャー挑戦「阪神に感謝。英語スピーチはさすが」
text by
沢井史Fumi Sawai
photograph bySankei Shimbun
posted2023/01/26 11:15
大阪桐蔭・西谷監督の好物ベビースターラーメンを差し入れする藤浪晋太郎(2017年1月)
その後もケガ人が相次ぎ、遠征に帯同する選手を誰にすべきか熟考していると、再度コーチから藤浪の名前が挙がった。
対外試合で登板したが、上級生と並べても見劣りする部分はあまりなかった。「器用なのか不器用なのか……でも自分で努力してここまで出来ているのかな」と西谷監督は期待し、1年夏から大阪大会のベンチに入れることにした。
1年秋も主戦級でマウンドに上がるなど、西谷監督からすれば予想外の“早咲き”だったのだろう。当時の希望進路はMLBでもNPBでもなく、大学進学だった。
「あの頃は卒業後、東京六大学に行きたいという話はしていました。東京六大学に行ってからプロに行きたいと。藤浪は中学の時に英検準2級を取っていたので英語は得意で、すごいな、みたいなやり取りもしたような記憶がありますね。もしかしたら本人は当時からメジャーへの思いを抱いていたかもしれません。でも僕らに話したことはなかったですよ」
進学コースも検討するほどの“秀才”
藤浪は大阪桐蔭に入学する際にI類(進学コース)を受験することも検討したほど頭脳明晰。英語教室には幼い頃から通っていたという。ただ、野球部に所属するにあたり、III類(体育・芸術コース)に属する必要があった。当時のチームメイトが「いつも藤浪が言うことは一歩先を行っている。ある時に藤浪が言った四字熟語の意味が分からなくて、全員がポカーンとしたこともありましたから」と笑って“秀才エピソード”を教えてくれた。
3年春のセンバツ優勝後、西谷監督は再び藤浪と進路の話をした。そこで初めて「大学を考えていたけれど、高校からプロに行きたい」という意思を確認し、尊重した。夏も甲子園優勝投手となり、ドラフト1位で阪神に入団。高卒1年目から3年連続で2ケタ勝利を挙げるなど、瞬く間に“阪神のエース”と呼ばれる存在となった。
しかし、プロ4年目で7勝11敗と負け越し、5年目は3勝止まり。7年目の19年は未勝利のまま終わるなど苦しいシーズンが続いた。